HOME > 活動紹介 > マイケアカフェ

マイケアカフェ2023 暮れ

日時:2023年 12 月 9 日(土) 14:00〜16:00
場所:zoomを使ったオンライン
テーマ:
「認知症基本法を学ぶ〜認知症の人からバトンをつないでいくために〜」
スピーカー:
浅川澄一さん(ジャーナリスト)

(プロフィール)1948年2月東京都中野区生まれ。東京都立西高校から慶應義塾大学経済学部に。1971年日本経済新聞社に入社。西部支社(福岡市)を経て、東京本社で流通業、ファッション、家電、サービス産業などを担当。87年11月に生活情報誌の月刊『日経トレンディ』を創刊し初代編集長に。93年流通経済部長、95年マルチメディア局編成部長、98年から編集委員。高齢者ケア、介護保険制度、在宅医療、少子化、NPO活動など社会保障分野を取材、執筆。2011年2月に定年退社。公益社団法人・長寿社会文化協会(WAC)常務理事。

12月9日はマイケアカフェでした。テーマは6月に成立した「認知症基本法」。この法律の画期的なところをジャーナリストの浅川澄一さんに話してもらい、参加者で意見交換しました。

今年の6月に、認知症基本法が議員立法で可決されました。メディアではあまり話題になっていませんが、この法律はとても意義深い画期的な法律です。多くの人に知ってほしいという思いで今回のマイケアカフェを企画しました。

スピーカーはジャーナリストの浅川澄一さん。日本経済新聞社の元編集委員で、長年医療介護分野の取材をやってきた草分け的存在です。以下にお話の要旨をお伝えします。

【浅川さんの話】
基本法は法律として上位にあり、全体の枠を決める重大な法律です。今回のテーマである「認知症基本法」の正式名称は、「共生社会の実現を推進するための」という長い冠を置く、「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」。共生社会を基本法にかぶせたという点でこれまでにない法律です。第一条に「認知症の人が希望をもって暮らすために」と書いてあるように、この法律は認知症の人が主語。その人はどういう暮らしをしてどういう生活をすればいいのか、それに対して周りがどういうサポートができるのかという作りになっています。認知症の人が客体で施策がその人に手を伸ばすという取り組み方ではありません。この法律の画期的な点は大きく3つ

1.「予防」を排除したこの法律には、「予防」という言葉がほとんど出てきません。認知症の歴史は、予防を推進した医療派と予防を排除したい生活派の闘いだったと浅川さん。2019年に認知症施策推進関係閣僚会議が取りまとめた認知症施策推進大綱では「予防」と「共生」が並列となっていましたが、「予防」については、当事者団体の認知症ワーキンググループと認知症と家族の会が認知症の施策の中で予防を使うなと訴えてきました。認知症になる人は予防を怠ったんだという誤った認識を植え付けるということです。特にワーキンググループは、予防でなく備えという言葉を使えと。台風は予防できないが備えることはできるんだという言い方をしてきました。その声があって今回の基本法につながりました。

2.「基本的人権」を「高齢者ケア」で初めて明記基本的人権という文言は障害者がかかわるところから発せられてきた言葉ですが高齢者のケアの分野ではほとんど使われていませんでした。しかし今回の基本法では、第3条に「全ての認知症の人が、基本的人権を享有する個人として、自らの意思によって日常生活及び社会生活を営むことができるようにすること。」あり、それが第7条の「認知症の人に対し必要かつ合理的な配慮をするよう努めなければならない」と、「合理的配慮」につながっています。合理的配慮は障害者基本法に明記されている文言ですが、その障害者ケアの考え方を認知症基本法ではきちんと取り入れています。

3. 主語を「認知症の人が」として「家族」を後退させた家族についてよく当事者から言われるのは、「家族のやさしさが当事者を傷つけることもある」「家族と当事者は主従関係であって対等ではない」「家族に囲まれた本人は社会から孤立。友人とか地域住民など社会とのパイプがなければ言いたいことも言えない」ということ。家族の言葉は本人の言葉ではないということです。認知症本法では、「家族」を後退させ、「認知症の人」が主語になっています。

ここまで画期的な基本法が生まれたのはどうしてでしょうか。その要因は当事者の力。認知症に関する法律策定は、かつて公明党が認知症施策推進法という名称で試みました。これはあくまでも施策であり対策で、起きてほしくないものを施策によってあらかじめ防ぐというスタンスでした。そして自公の共同党案として2018年にまとめ国会に出そうとしていましたが、コロナ等の影響で廃案になりスタートに戻りました。そして一から出直しとなったわけですが、そのおかげで今回の新法は、障害者権利条約、障害者基本法の精神を取り入れて、本人の人権、自由な生活を前面に押し出した法律になったのです。

それを推進したのが当事者たちでした。2019年、自公案が廃案になって停滞ムードが漂っている時から 立ち止まらずに議員たちを説得して説き伏せたのが当事者グループであり最先端に立ったのがJDWG(日本認知症ワーキンググループ・2014年発足・代表藤田和子さん)でした。

JDWGは、「名称を認知症の人基本法に」、「施策は手段であって主人公は認知症の人」「障害者基本法と同様、人権を明記して」、「偏見のない社会には人権の認識が不可欠」、「予防を備えに」…と提案をし続けて議員立法をつくろうとしている議員たちに訴え続けました。このように当事者団体が動いたというのが、良い法律になったいちばんの大きな要因です。

JDWGは認知症当事者の方たちが発信をする、その人たちのグループです。家族ではなく本当の当事者からの発信です。完全なる自分事として動いたのです。

認知症ケアの歴史をさかのぼると、「生活や暮らしや本人の立場に立って話をする人たち」と、「認知症は病気の一種で薬が出てきていずれは治るのだから対策という人たち」の闘いの歴史。15年前までは医療先行。それが当事者からの発信がなされるようになって方向が変わってきました。

合言葉は、「私たち抜きに私たちのことを決めないで」。

いろんな人権問題と根っこは同じ。社会に対するプロテスト運動となりました。認知症条例を策定する自治体も増えてきました。その中で、突出しているのは和歌山県御坊市。御坊市の条例は認知症の人の参加で作られました。

認知症の人は、発信し、社会参加し、守られる存在ではなく社会の中で活動する人と位置づけ、認知症の人の役割を明記してあります。「まさにこれが共生社会」です。

これから各自治体には市町村認知症施策推進計画の策定が求められますが、どの自治体も基本法をベースにした御坊市のようないい計画を作ってほしいものです。

****
このほか、介護保険法と両輪で策定された成年後見制度、認知症をどうとらえるか、リビングウィルなどにも話は及びました。そして、介護保険法も認知症基本法も、終末期医療の選択についても、本人主体。自己選択・自己決定が基本と浅川さんは結びました。(報告:島村)
認知症基本法↓
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=505AC1000000065

マイケアカフェ2023 夏

日時:2023年 8 月 1 日(火) 19:00〜21:00
場所:zoomを使ったオンライン
テーマ:
「科学的介護とデータヘルス改革〜LIFEとAIを利用者・家族はどう活用するのか〜」
スピーカー:
高野 龍昭さん(東洋大学福祉社会デザイン学部教授)

 8月1日はマイケアカフェ2023夏「科学的介護とデータヘルス改革〜LIFEとAIを利用者・家族はどう活用するのか〜」でした。参加者のほとんどが一般市民。分かりやすくとのリクエスト通り、スピーカーの高野 龍昭さん(東洋大学福祉社会デザイン学部教授)が平易な言葉を選んで説明してくれて、会場からの質問にもざっくばらんに答えてくれました。

お話
●LIFEの狙いは、①介護サービスの質の向上、②介護サービスの質の評価。③介護サービスの質の標準化。
●これは、医療的な側面や身体機能など、データ化しやすい事柄についてはかなりの成果が期待できるが、価値観とか地域の様子とか、家族関係とか、そうしたデータ化ができない側面については、人間の感性や力量が不可欠。
●国は科学的介護を推進しているが、データに基づく科学的介護というのは人の暮らしのすべてをカバーできるものではなく、カバーできるのは世界保健機関(WHO)による国際生活機能分類(ICF)のうちのごく一部分(写真参照)。
●なので、LIFEを活用するためには、その特性を念頭に置いて、医療や身体機能などのデータを参考にしつつ、データ化できない人間にしかできない部分、人間にしか分からない部分をしっかり人間が判断することが大切。

質疑応答から
Q.専門職支援者やケアマネジャーがLIFEのみの価値観で利用者に接すると、医療モデルに偏ったケアプランになったり支援になったりする恐れがあるのが心配。
A.ケアマネや専門職は、LIFEが全てでないことをちゃんと理解して関わらないといけない。
Q.LIFEの自分に関するデータは、申し出ればもらうことができるのか。
A.できるはず。利用者が自分のデータを知って、セルフマネジメントに活かすという可能性もある。
Q.LIFEに参加するかどうか、利用者は選べるのか?
A.LIFEに関する加算のうち、事業所につく体制加算ではなく、個別につく加算であれば、利用者が必要ないと思えば「要らない」と言えるはず。他にもいろいろな加算が増えているが、利用者は加算について説明を求めて、自分に必要な加算なのかどうか、ちゃんと考え見極めることが大事。
Q.LIFEの真の狙いが給付抑制にあるのではないか?
A.給付の削減というより、現場の効率化によって、人口減少、生産年齢人口が少なくなっている現在の状況に対して役立つということだと思う。質疑の中から、問題点もあぶりだされました。

●国は、事業者から利用者に対して、加算を取ることについては説明と同意が必要と言っているが、データを提供することに対しては、匿名化するので説明と同意は不要としている。医療では、患者のデータ提出する場合、医療者から患者への説明と同意が普通であるのに比して、これは問題。
●LIFEでは身体機能の改善という視点でデータを集めて分析しているが、どうしても身体機能がよくならない人(病態や老化)の存在が抜け落ちている。アメリカではこうした一定割合の人数をデータの母数から外しているが、日本の分析にはそれがない。そうすると、事業所が利用者を選別するという現象が起きかねない。

参加者の感想
●LIFEの強みと人間がかかわることの強みをうまくすみ分けていけばいいとおもう。
●介護サービスの標準化で、ある程度は誰がやっても技術的に質が保てるようにして、人の力量の部分をしっかり担えるように頑張りたい
●LIFEのビッグデータが役に立つまでには今少し時間がかかるはず。DXは時代の流れ。利用者も温かく見守ろう
●介護というのは、一人ひとりの異なった生き方、暮らし、考え方に沿って行われるもの。データ化という考え方にはどうしても馴染めない。などなど、深い話が繰り広げられました。利用者は、ますます丸投げはできないですね。

みんなで一歩譲ったり、進んだりするしかないが、のんびりはできない。(島村)

マイケアカフェ2023 春

日時:2023年 4 月 25 日(火) 19:00〜21:00
場所:zoomを使ったオンライン
テーマ:
「ヘルパーをもっと知りたい~『そもそも』から根深い問題点まで~」
スピーカー:
是枝祥子さん(大妻女子大学名誉教授)

 4/25(火).オンラインでマイケアカフェ2023春を開催しました。
 全国マイケアプラン・ネットワークでは2月に、国を相手に訴訟を起こしている現役ヘルパーの藤原るかさんを招いて拡大例会「ヘルパーさん応援団」を開催し、ヘルパーさんが置かれている現状に大きな衝撃を受けました。
そこで、ヘルパーさんについてもっと学びたいと思って今回のマイケアカフェを企画しました。
 理論にも現場にも詳しい大妻女子大学名誉教授是枝祥子さんに話題提供をお願いしました。
 利用者として知っておきたい「そもそも」から奥深い問題点までわかったうえで、今後の応援に生かしたいと思います。

★是枝祥子さんのお話

〇ホームヘルパーの成り立ちと歴史について
ホームヘルパーの元祖は、1956年に長野県上田市・諏訪市で老齢世帯や病人への訪問事業として始まった家庭養護婦派遣事業。これが各地の自治体にも広がり、1963年に制定された老人福祉法で第12条に「家庭奉仕員」として明文化されました。老人は家族が見るというそれまでの風潮から、国の施策が生まれたわけです。

1960年代後半になると、医療の発達や栄養状態の改善等から寿命が延び、同時に寝たきり老人が増えてきました。そうしたことで、家庭奉仕員の増員と在宅福祉施策が本格化してきました。

やがて1980年代になると、高齢化を見据えてゴールドプラン、新ゴールドプラン、ゴールドプラン21が次々と策定され、家庭奉仕員からホームヘルパーという名称になり、高齢者に向けた生活支援の方向性が明確化されました。そしてホームヘルパー育成のための研修内容が体系化されていきました。

2000年に介護保険制度がスタート。民間企業が参入し、介護職やヘルパーの養成が進んできました。
ただ、このころは主婦業の延長で、主婦層がホームヘルパー2級講座を受けることが多く、ホームヘルパーは高齢者のお世話をするという感覚でした。

介護保険発足から23年経った現在は、看取りまで担うようになり、ホームヘルパーが求められる専門性は、より多岐にわたるようになっています。

〇ホームヘルパーが担う業務の変遷

1962年ころの業務は、被服の洗濯、補修、掃除、炊事、身の回りの世話、話し相手になることとされていました。

1969年には、①身体の介護に関すること(食事の介
護、排泄の介護、衣類着脱の介護、入浴の介護、身体の清拭・洗髪、通院等の介助その他必要な身体の介護)、②家事に関すること(調理、衣服の洗濯・補修、住居等の掃除・整理整とん、生活必需品の買い物、関係機関との連絡、その他の家事)、③相談・助言に関すること(生活・身上・介護に関する相談・助言、その他必要な相談・助言)に。

1995年の新ゴールドプランでは、「利用者本位・自立支援」が目標とされるようになり、高齢者がその心身の機能を最大限に活用しできるかぎり自立した生活を営むことを支援するために保健福祉サービスは提供されるべきであり、このためにサービスを高齢者個々人の意思と選択をできる限り反映させ利用者本位のものとして提供していくべき」とされています。

2000年介護保険制度では身体介護と家事援助に2分され、業務内容について厚生省から老計第10号という細かい規定が示されました。
内容は以下のように一挙手一投足事細かに規定されたものです。
「1-1-1-1 トイレ利用
○トイレまでの安全確認→声かけ・説明→トイレへの移動(見守りを含む)→
脱衣→排便・排尿→後始末→着衣→利用者の清潔介助→居室への移動→ヘルパー自身の清潔動作
○(場合により)失禁・失敗への対応(汚れた衣服の処理、陰部・臀部の清潔介助、便器等の簡単な清掃を含む)」

長くこの老計第10号に沿って行われていましたが、2018年介護報酬改定の際に老計第10号の改正があり、見守り的援助、身体介護の範囲が明確化され、単に「やってあげる」のではなく、利用者の自立を後押しする観点から安全に配慮しつつ寄り添って「ともに行う」支援を指すことが、さらに求められるようになりました。

〇ホームヘルパーの専門性と報酬のミスマッチ
介護保険のヘルパーには、「できること」と「できないこと」が定められています。

できることは、本人への支援のみ。家族に対する支援はできません。例えばトイレなど本人も使い家族も使う共用スペースの掃除はできません。また、日常の生活の支援のみでおせち料理やお客さんへのお茶出しなどもできません。ペットの世話もNGです。医療行為とされるものもできません。つまりとても制約が厳しいのです。

報酬を見ると、生活援助は身体介護の約半分、身体介護は訪問看護の約半分の報酬となっており、とても低報酬。

事業所は、この報酬の中でヘルパーへの給料、事業所の維持費、事務費などをすべて賄わなければなりません。安過ぎというより「酷い」と言える低さです。

是枝さんは、ホームヘルパーの専門性について次のように評しました。

「日々の生活を継続するには、調理、洗濯、掃除、ごみ捨て、衣類の補修、裁縫、買い物などの日常生活行為があり、生活の基本になっている。家事は生活の土台となるもので必要不可欠なもの。生活はそれぞれの人が培ってきたその人の生活習慣、価値観やこだわりがあり、個別性が高いため単に家事技術を提供すればよいのではない難しさがある。他者が評価しにくいもの。家事支援は、一見家事の経験者であればだれにでもできる行為に映っているが、訪問介護員の行う家事支援は単なるお手伝いやお世話ではなく、一人の人間として利用者の尊厳を守りつつ、自立を支援し、その人らしい生活を維持できるように支援する役割を担っている。生活を継続するための土台」。

こうした中で、2018年の老計第10号の改正の中で、行為としては生活援助だとしても、「利用者本人が行う動作を、訪問介護員の介助よりも、本人が主体的、中心的に行うことを、見守りや軽度な介助を行った場合でも身体介護として算定できる。本人が行う動作は家事であっても同様に身体介護で算定する」と改訂されました。

是枝さんは、現場はこれをもっと活用すべきと以下のように述べました。

「一見生活援助に見える支援も、自立支援見守りにより身体介護扱いになるため、生活援助ではない根拠を明確にし、これについての家族、利用者への説明が必要」。

多くの認知症高齢者への支援はこれに当てはまるのではないでしょうか。でも、理解が進まず、ほとんど活用がされていないそうです。
掃除や調理などは手段であって、その目的は自立支援であることを、利用者も、行政も、事業所も、ホームヘルパー自身も、理解していかないといけないと思わせる話でした。

「身体介護と生活援助は一本化して、報酬は身体介護に引き上げるべき」、「老計第10号の改正点を活用できるように、利用者がいちばんに理解しないと」などなど質疑・感想もたくさん上がりました。

★最後に、是枝さんの言葉
関わる人たちの解釈の仕方などがちょっとずつずれている。それをどう、線で結んでいくのか。実際にサービスを利用している人も提供側も行政も、いろんな人が現状を話し合って少しでも接点を探してくしかない。
みんなが共存してどうやってすこしずつ前を向いていくか、真剣に考えていかないと。在宅の土台である訪問介護が消えていくことも視野に入れないといけないのかもしれない。

みんなで一歩譲ったり、進んだりするしかないが、のんびりはできない。(島村)

マイケアカフェ2023 冬

日時:2023年2 月 24 日(金) 19:00〜21:00
場所:zoomを使ったオンライン
テーマ:
「どうする介護保険~次期改正に向けた審議会意見書を読み解く~」
スピーカー:
三原岳さん(ニッセイ基礎研究所主任研究員)


2月24日(金)は、マイケアカフェ2023冬「どうする介護保険~次期改正に向けた
審議会意見書を読み解く~」でした。
スピーカーはニッセイ基礎研究所主任研究員の三原岳さん。マイケアの会員で知恵袋です。

昨年末に介護給付費分科会介護保険部会の意見書が出され、介護保険改正の方向性が示されました。
ケアマネジメントの有料化、総合事業の対象に要介護1.2まで拡大、利用料の2割負担、3割負担の対象者を広げる、施設の人員配置を現在の3:1から4:1に緩和する、施設の多床室の室料を取る、などたくさんの論点がありましたが、年末の新聞各社によると、悉く先送りされたとのこと。
先送りって何? どういうこと? なくなったということではないの? と疑問がわきでたため、今回マイケアカフェで三原さんにひも解いてもらいました。

昨年は改正内容について、国民からは不安とともに大きな反対の声があがりましたが、結果として内容は小粒に終わっている、というのが三原さんの見方でした。ただ先送りと一口に言っても、以下の3種類の先送りがあるということでした。

  1. 2027年の次々の改正の論議に先送り…「ケアマネジメント有料化」、「総合事業の対象を要介護1.2に広げる」
  2. 2024年の次の改正を視野に「夏までに決める」と表記されているもの…利用料2割の対象者を広げる(なお、利用料3割負担の対象者に拡大については期限が書かれていない)
  3. 年末まで交わされる介護給付費分科会の報酬改定の論議の中で考える…「多床室の室料を取る」「施設の人員配置を現在の3:1から4:1に緩和する」です。

なので、その結果が反映される時期も違ってきます。
論点の中には、理屈からいって無理だろうと思われるものもあるようですが、2021年12月に内閣府から出された新経済・財政再生計画改革工程表、財務省の諮問機関である財政制度等審議会の資料の中には上記のテーマが盛り込まれていて、厚労省としては俎上にのせざるを得ず、これがある限り議論は続くとのことでした。

介護保険部会の意見書だけでなく財政再生計画工程表や財務省の資料を突合させて、報告書の行間を埋めていく、、、あたかもドラマ「相棒」の杉下右京のようでありました。

このほか、地域包括支援センターの負担軽減、新たなサービス類型の創設、生産性向上に関する窓口を都道府県に設置、決算データの提出義務、書式の統一、処遇改善加算の簡素化、被保険者の主体性に関する規定の創設など、その他の論点についても詳しく説明してもらいました。

話題提供のあとの意見交換では、現場から市民からさまざまな意見が飛び交いました。
話題はLIFEに代表される科学的介護、ケアマネジメントの適正化、セルフケアプラン(自己作成)の位置づけ、ケアマネジャー不足、地域包括支援センターの業務負担などに及びました。
中で特に、データやエビデンスを求め、現場もケアマネジメントも科学的介護に取り込もうとする現在の方向性、国の姿勢を憂える声が目立ちました。
「人間の暮らし、介護は数値で測り切れないアートであり、数値で測りやすいサイエンスで割り切ることはできない」と三原さん。これに対し、「人間のアートの部分が抜け落として、効率化・合理化の名のもとにマニュアル化しようとする波が押し寄せているのは問題」
「現場や利用者がもっと声を上げていかないと、せっかく先延ばしになった意味がなくなる」など呼応する意見が相次ぎました。

そうした中で、「とはいっても財源不足は紛れもない事実なのだから、市民も何もかも反対というだけではなく、そこを自分たちでどう引き受けられるかという視点をもった提案も必要なのではないか」という指摘もなされました。
確かにその視点は市民が忘れがちなところです。自分がどう担えるかというところは市民一人一人が考えなくてはならないことだと思いました。

「財源不足の面からも人材不足という面からも、効率化・合理化が求められることは理解できるし、デジタル化は進めていく必要がある。しかし、科学的介護でこれらが解決できるかというと、むしろ逆に科学的でなく『人間的で非効率な』丁寧な介護、丁寧なケアマネジメントの積み重ねが結果として介護現場の利用者、働く人にとっての満足度向上につながるのではないか」と三原さん。

まさにそうした視点からみれば「マイケアプラン」はその最たるものだと思います。
ケアマネジメントの有料化に付随して意見書には「セルフケアプランの位置づけ」への言及がありますが、今後も注視しながら必要を感じたら行動を起こそうと思っています。

録画ボタンを押し忘れるという痛恨のミスを犯し、記録は後半の質疑の部分だけになりましたが、あとでそれだけ聴いても大きな学びがある2時間でした。(島村)

当日の教材と副教材は以下のリンクから
〈教材〉
介護保険部会意見
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_29930.html
〈副教材〉
◇部会意見に関する三原さんの解説記事l
https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=73576?site=nli&fbclid=IwAR3dmeG87Sbuq1aFO07xdSx4YPZtGVMLtnOWXhBhMEi2N04DOIWFZN0D4b4

マイケアカフェ2022 晩秋

日時:2022年11 月 19 日(土) 14:00〜16:00
場所:zoomを使ったオンライン
テーマ:
「ケアありきでも自然な暮らしをしたい!〜わたしの支援体制大幅改革大作戦〜」
スピーカー:
小林博子さん(ケア研究所主宰)
(プロフィール)
のほほ〜んと 40 歳の誕生日を迎えた数ヶ月後、想定外の事故によりまさかの〈障害者界〉 デビュー。〈健常者界〉未練タラタラの月日を行きつ戻りつしながら 15 年...。 今はそんなのどっちでもよし! 人として如何に楽しく生きるか?!〜がもっぱらの人生の課題。 老後は夫と山の中のポツンと一軒家暮らしが夢♡

15年前に交通事故で重度障害者になった小林博子さん。
3 年前にはデンマークに短期留学したり、今年はファッションデザインスクールで学んだり、アクティブな現在です。 そして楽しく生きるために、自分を支援するチームを自分で作り、本人と支援者が風通しよ くチーム一体となった関係を作り上げようと模索する日々。これぞ手作りの地域包括ケア。 「まだまだ障害者は違う世界の人と思われがちだけど、それは出会う機会がなかなかない から。自分が出ていくことがまちづくりの一環」と、シェアオフィスを借りてどんどん外へ 出ているそうです。
そんな小林さんに、博子ワールドを語ってもらいました。

小林さんとマイケアが知り合ったのは、かれこれ 10 年近く前。 「受傷してこれからどう生きていこうかといろいろ調べているときにマイケアのサイトに 巡り合って、稲妻が走ったような衝撃を受け、それで連絡を取った」(小林さん)。
そして何回か小林さんが住む静岡県島田市にお邪魔してマイケアのワークショップやお 話をさせてもらいました。
その後いろいろな経験を重ねてきて今、小林さんは「『幸せ?』と聞かれたら、『100 パー セント幸せ!』と言える」と胸を張ります。
これから始まる小林さんのお話は、「1.私のこと」、「2.チーム小林のこと」、「3.デンマークのこと」という 3 部構成。
「この3 つが合わさった時に私が幸せなわけが伝わるといいと思っている」と話を始め ました。

1.わたしのこと
アウトドアが好きでポジティブで活動的なわたし、結婚して子供ができて、家を建て、子育てして...そこに大きな転機(事故による受傷)が訪れ、健常者から、重度障害者として人 生を再スタートすることになった。
体が動かないということより、誰かに支援を受けなければならないということの方が、受 け入れがたいことだった。
「絶望の中、障害者の暮らし、高齢の人の暮らしがワンパターンで刷り込まれていて、そ の立場になったらそう暮らすしかないと思い込んでいた。人生終わったな、これからは制度 に縛られて生きていくから今までのように好き勝手に行動できない」と思った。
しばらくは「ヘルパーに助けてもらう自分。医療に助けてもらう自分」をやっていたが、 ある時、「このままではまずい、このままでは医療や福祉に私を抹殺される。黙っていたら、 私の人生は誰かのものになる。これは阻止せねば」と思い、いろいろなことを試したり情報 を求めたりさまざまな人とつながったりするようになった。
その中でいろいろな人から、響く言葉をもらった。

「KNOW NO LIMIT」
藁にも縋る思いで行ったトレーニングジムの信念がこれ。 限界を作るな。限界は自分が作るもの。本当は限界なんてない。

「無い社会資源はつくればよい」
相談支援の人が言った言葉。

「障害は強み」
女性起業講座に参加したときに言われた言葉。自分の障害にプラスアルファしてくことで ほかの人にはないことできる!


「自分事を丸投げしない」
マイケアの、稲妻が走った言葉。


「ケアを受けるプロ」
脳性まひ当事者で札幌いちご会会長山内美智子さんの考え。小山内さんのところに行って 小山内さんが生活しているその様子、的確に指示を出して自分の生活を作っていく姿を見 た時に私もそうなりたい。ケアを受けるプロになろうと思った。


「ケアの社会学」
上野千鶴子さんの著書


「あなたはカワリモノ」
私が変わり者だと思っていた大好きなドクターから言われた言葉。その人に言われたことが喜び。自分は変わり者でいいんだ、と思えた。

2.チーム小林のこと
「チーム小林」づくりに 2,3 年前から取り掛かっている。
これは、事業所や業種やすべてを超えて、自分を盛り上げてくれる幸せになるためのチー ム。
このチームを全国、全世界どこを探してもないような最高のチームにしたい。 ドクター、訪看、ヘルパー事業所 3 か所、訪問リハ、相談支援員、総勢 20 人くらい。 ただ、抱いているイメージは、医療福祉の人だけではなく、私を盛り上げていってくれる人がみな私のチームだと思っている。 自分の考えていることを伝えるための手間は惜しまない。それぞれ互いに立場は違っても、横のつながりを持ち垣根は作らない。風通しのいいチームにしたい。 相談支援員(介護保険でいえばケアマネ)に考えを伝えて、これから私の半分を手伝ってもらえたらいいなと思っている。 また、こういう考え方とかやり方を相談支援員さん経由で広めてもらえたら主体的に生きていく重度障害者が増えるのではないか。という思惑もある。 ケアプランを立てるために小林ゼミを開いて思いを伝え話し合っているほか、関わる人に「私に関わる皆さんへ」という文章を読んでもらうようにしている。 ヘルパー事業所の責任者に思いを伝え、ヘルパーさん一人一人にわかってもらうことには一番時間と労力を割いている。

★ヘルパーに伝えたいこと
マズローの法則で、人間の欲求の 5 段階のピラミッドのいちばんの土台は 1 段階目の生理的欲求、そこから 2 段階目の安心安全への欲求、さらに高次な欲求に進んでその先には 自己実現の欲求がある。自分としては今はそこにいると思う。

ケアをする人たちは、1段階,2段階のところをケアの蓄積の中で作ってくれている。私 たちはそれがあってこそ上に行ける。
でも、ヘルパーさんたちの力が途切れたら、私はまた、1.2のところからやり直さなけ ればいけない。ケアの人たちはそれだけすごい力を持っている。ということをいつも伝えた いと思っている。
それで、2 年前からシェアオフィスに出ていくようになった。自分がかかわっている現場 をシェアオフィスや町に持ち出すという気持ちでいる。
ヘルパーが介助に来てくれた時にオフィスの人が顔見知りになったり、まちづくりの人 と話をしたり、今後まちづくりと医療や福祉が一緒にやっていこうという話になればいい。
私の世話をできる人は、医療福祉の人だけでなく、町中に無限にいる。町にはいっぱい力 があふれている。
医療や福祉の箱の中だけで考えていると頭がとても小さくなっていく。自分のケア、自分 のアシストができる人を町の中にいっぱい作ること、町の力を育てること、が自分の幸せに つながると思う。それを含めてのチーム小林。
この頃新しく障害を持った人から悩み事を聴くことが多くなった。
その人たちに共通しているのは、以前の私のように医療や介護の中で考えてしまうこと。 例えば、百均で買えるものをわざわざ医療福祉のカタログの中から探す、とか。自分はその世界の人だから、その中のものしか使えないという風に考えがち。
でも何でも使えるものは使えばいいんだという考えを取り戻してもらいたい。そんな話 をする。

3.デンマークのこと。
年前に半年弱、デンマークに留学した。エグモントホイスコーレンという国営の成人学校で学生はともに暮らして学び、自分に合った生き方をを共に探す。 エグモントは障害者と健常者がともに暮らして学ぶ学校。学生 200 人のうち 50 人が障害 のある学生で、障害のある学生をケアするのは学生ヘルパー。パーソナルアシスタンス制度といって各学生の出身自治体から賃金が支払われる仕組み。 パーソナルアシスタンス制度でのヘルパーは資格は必要ない。障害がある人がこの人と決めた人を登録、雇用契約を結んでチームを作る。その中では障害を持った人は「ボス」と 呼ばれる。町にはいっぱいケアの力があるというのはここからの発想。

私には、日本人の 3 人の女の子が学友でヘルパーだった。
彼女たちとは何かあったらとことん話し合い、話をする中で大げんかもするけど、また元 に戻れる、という関係だった。日本でのヘルパーたちとなんとなくうまくやっていくという かかわり方とは違っていた。人生を共にする仲間だと思えた。
デンマークの人は、日本では考えられないようなことをすごく楽しそうにやる。胃ろうの 学生にビールを入れたりもする。本人が幸せならばそれをお手伝いするというのがこの国。 こういうおおらかな生き方ができるのが幸せな国といわれるゆえんなのではないか。
国民性として、小さい頃から主体的に楽しいことを考え、どういうことを思っているかを 事細かに聞かれる訓練ができていたのだと思う。
デンマークの高齢者福祉の三原則として、自己決定、生活の継続性、自己能力の活用があるが、そのためには対話をするのだろう。あやふやにせずにわからないことはわからない。 それをそのままにせずに答えを出す。その積み重ねで関係性ができてくるのだと思う。
周りの目を気にして思うことが言えないのが日本人で、日本人には欠けているところだ と思う。

〇これからどうしていきたいか。
今は、自薦ヘルパーを目指したい。 これはパーソナルアシスタンス制度に限りなく近い考え方で、資格は持っていなくても、この人にヘルパーになってほしいという人を選んでケアをしてもらう。そのヘルパーとも っとかかわりながら人生を共にしていく付き合いがしたい。

こういう状態になったからこそ、こういう状態を思う存分楽しみ、自分の納得する形を作りたい。
いろんな人とかかわって、いつでも頭の中を更新しながら年を重ねていきたい。 そして最期の時に、自分の人生 100 点を目指す。 周りの誰かに似た生き方ではなく自分だけの生き方。そのためのライバルは自分で、私らしい生き方を見つけたい。(文責:島村八重子)

マイケアカフェ2022 秋

日時:2022年9月28日(水)19:00~21:00
場所:zoomを使ったオンライン
テーマ:『改めてリハビリを考える~「したい」を実現し暮らしを支えるリハビリとは~』
スピーカー:
橋本典之さん(株式会社アクト・デザイン、全国マイケアプラン・ネットワーク運営委員、理学療法士・介護福祉士)

橋本典之さんは、認知症の祖父母の在宅介護と看取りのある家庭に育ち、介護の仕事を経て介護福祉士の資格をとり、さらに理学療法士となりました。
 急性期病院、訪問リハビリを経て、2014年に柏市にアクトデザインという会社を立ち上げました。
 専門的な支援を通じて利用者に選択肢や可能性を提供したい。それぞれのなりたい暮らしや活動を自ら思い描けるようにと事業を展開しています。対象は高齢者だけでなく、難病や障害をもつ大人や子どもも。支援内容も訪問支援・相談支援・通所支援・就労支援など多岐にわたります。
 全国マイケアプラン・ネットワークへのかかわりはかれこれ20年前の橋本さんが大学生の時。2003年から運営委員になり、フォーラムやワークショップの企画などを行っています。
 2010年には自己作成の人の経験談をまとめた本『ケアプランを自分でたてるということ』を著しました。
 話は、「皆さんがリハビリに抱くイメージは次のどちらですか?」という問いかけで始まりました。
 一つ目は「治す」イメージ、もう一つは「支える」イメージ。
 橋本さんは、「治すのは大前提だが、そこにマイケアで学んだことを重ねると、支えるのがリハビリだと思っている」と話を続けました。「確かにスポーツ選手がけがをして復帰のためというイメージと重なるかもしれないけれど、高齢者の場合、長期的に介護が必要になったり難病とか長いかかわりの人も増えていて、治すという視点だと、そうした長期的なケアを必要な人が視野から外れてしまう。でも、そういう部分をリハビリテーションとして長く支えることが必要」と導入部を締めくくりました。

●大切にするリハビリのプロセス
次に、橋本さんが大切にしているプロセスについて。
①本人の希望を聴く…どうなりたいか、どう暮らしたいか
②家族の思いを聴く…どうかかわりたいか、どうかかわれるか。
もちろん、本人と家族がイコールの場合もそうでない場合もある。
③本人と家族の思いを聴いたうえで、専門職としてやるのは、まず課題の発見。
★身体に現れた障害をもっと深めてみることやその前の既往症やそのほかの疾病のことなど。
また、1人暮らしか、家族がいるか、家族は協力的か、住んでいる環境はどんなか…など。
★その人に残っている力を見つける。眠っている力を見つける
以前は、基本的にダメなところを探す。でもそれだけではだめで、残っていること、活かせることを評価する。
★環境評価…病院の中ではあまり考えなくていいが、在宅ではどんな環境かは大切。
右の片麻痺でどんな環境ならトイレに行けるのか…など
★予後予測を立てる
治療経過、もともと持っていた運動機能などを勘案して、リハビリをしていけばどのくらいすれば自立というようなことを見通す。そこまで評価して、それと本人の思い、家族の思いをすり合わせてプログラムを組む。そういうところが伝わらないと、退院直後、できないことを埋めていくプランになったりする。それでその人の生活は成り立つが、その人は「できないまま」になってしまう。

●訪問リハビリの視点で大切なこと
 では、橋本さんはどのような視点で「できないまま」でない在宅の暮らしを支えていくのでしょうか?
まず、住宅の環境調整。
 身体機能と住宅の欠点を比較して見ると、住宅の欠点に対して身体機能が上回っていれば暮らしていけます。でも身体機能が小さくなると、住宅が変わらなければ暮らせなくなります。
 リハビリとしてはまず身体機能を戻すという逆の矢印を目指します。でも元通りに戻るのが難しい疾患や障害の場合、反対の矢印は難しくなります。
そちらばかりを目指すとむしろ身体機能がさらにどんどん小さくなっていくことがあるといいます。
 ただ視点を変えると、身体機能が小さくなっても、住宅の欠点を小さくすれば暮らせます。
 そして、暮らせるようになれば動きが生まれます。つまり、トイレに行けるようになれば、一日何回もトイレの行き帰りがあり、その間に立ち座りという活動があります。そういった活動が生まれ、それが、リハビリにつながるのです。
このように、「『暮らせる状況』をできるだけ早く作っていくことが在宅での支援にはもっとも大切だと思っている」と橋本さん。
 「新規で退院直後の人に対しては、いきなりストレッチとかリハビリでなく今の生活環境の中でその人がいかに安心に暮らせるか、に視点を置いて行っています。できることを増やしていく。本人ができることを作っていくというのが我々の仕事です」。
 在宅で過ごした末期がんの利用者の事例で、時間の限られた中でどう、その人の「できる」を作り出していったのか、制度という枠に縛られず目の前の課題を消していくことで「できる」を支えていったことがわかりました。
 太田仁史さんの言葉に、「守るも攻めるもこの一線」というのがあるそうです。その一線とは、「座ることができるか」。
 座ることができれば、そこで作業をしたりご飯を食べたりできる。好きなことをしながら座る時間を増やすことでやりたいことができてくる。座るということをどう作っていくか、がまず大切。
 次に座ったところからちょっとでも立つことができればベッドの乗り移りができ、少しつかまり立ちができるようになればトイレに行くことができる。そうすると、いろんなところに車いす用のトイレもあるので、外に行ける。このトイレの関門をクリアできると一気に世界が広がるといいます。
 その状況をどう作り出していくか、寝たきりからゲートボールができるまでになった人の事例を挙げながら、具体的に話をしてくれました。
 人の営みは作業・生活行為の連続で成り立っています。生活者からみると、日常生活を維持するための行為、仕事、趣味、地域活動などが生活ですが、医療側の目から見てしまうと、病気とか障害に目が行ってしまう。そこだけを見てしまうと、生活が見えなくなる。そうではなく、こうした生活行為を評価して関わることが必要と橋本さん。
 障がいや病気は治る見込みがなくても、生活の視点で支援し、料理が好きだったもともとの生活を取り戻し、さらにコンビニに行ったり故郷へ帰省するなど世界を広げていった利用者の事例を話してくれました。その利用者は病気や障害が治らなくても、本人の世界は広がり、本人も変わっていったといいます。
 このように、小さな「できる」を実現させると…、「●●したい」が生まれ→実際の行動につながり→自信を持つようになり→主体的な行動につながり→また別の「できる」が実現…この繰り返しによって、何もしなくてもびっくりするような状況が生まれてくるといいます。
「リハビリには訓練的なイメージがあると思うが、本人がどういう風な暮らしをしたいのかに聞く耳を持ち、寄りそっていくことが根本にある」(橋本さん)。
「リハビリはブラインドマラソンのようなもの。ブラインドマラソンの本人と伴奏者をつなぐたすきのことを絆という。ブラインドマラソンの大切な能力は、信頼と気遣いだそう。
リハビリは、できない人に対して前から手を取って、誘導するイメージになりがちだが、そうではなく、本人のちょっとした気持ちと体の動きや気持ちを感じ取ってときには引っ張ってペースを上げ、ときには行き過ぎた時はブレーキをかけて、そういった信頼と気遣いの中にリハビリの神髄が見えてくると思っている。子どもにもかかわっているが、寝返りくらいしかできなかった子どもが杖を突いて6歩くらい歩けるようになった。こうして子どもの成長に寄りそっていくところもあり、本人のなりたい暮らしに寄りそえる、そういったところに関われる仕事だと思っている。」と締めくくりました。
 続く質疑では、「子どものころから『こう動いたらいい』といったことを教えてもらえたらいいと思った」という感想に対して、橋本さんも「ちょうど、教育現場と何かできないか模索中」とのこと。これからの展開も楽しみになりました。
また、転ばない体づくりの方法や、施設と在宅でのリスクのとらえ方の違い、介護保険の制度についての質問などがあがり、活発なやり取りが行われました。
 橋本さんの考え方は、マイケアプランそのものでした。生活をあきらめない、人生をあきらめないためにリハビリがある。そんな風にリハビリを活用しようと思える内容でした。(文責:島村八重子)

マイケアカフェ2022 初夏

日時:2022年5月26日(木)19:00~21:00
場所:zoomを使ったオンライン
テーマ:『「うちげでいきたい」~映画を観て孫大輔監督と語り合おう』
スピーカー:孫大輔さん(鳥取大学医学部地域医療学講座 講師、日本プライマリ・ケア連合学会認定 家庭医療専門医)

5月26日(木)、マイケアカフェ2022初夏『「うちげでいきたい」~映画を観て孫大輔監督と語り合おう』が開催されました。
孫さんは、家庭医であり医学教育者であり、まちづくりにも乗り出しているというマルチな方。この映画は2作目の作品です。
マイケアは10年以上のお付き合いをさせていただいています。
一昨年拠点を鳥取県の大山町に移されて遠くなってしまったのですが、今回オンラインで会を催すことができました。
最初に40分ほどの映画を皆で鑑賞し、その後、孫さんに思いを語っていただき、その後質疑・感想・意見交換を行いました。
ネタばれになるのであまり言えませんが、一般市民、患者、医療・介護専門職などさまざまな立場の参加者が、それぞれの視点から意見や感想を述べ、語り合うことができました。
上映会+クロストーク、もっといろいろなところで行われるといいなと思いました。
在宅看取りやACPについて、この映画をきっかけに家族や親しい人と話し合うというのがあちこちで広がったらいいなと思います。
オンライン可能なので、全国どこでもできます。
皆さんのところでもぜひ企画してください。(文責:島村)

マイケアカフェ2021 秋

日時:2021年11月5日(金)19:00~21:00
場所:zoomを使ったオンライン
テーマ:「ケアマネジメントの20年~利用者はケアマネジャーとどう向き合うか」
スピーカー:國光登志子さん(東京都介護支援専門員研究協議会理事・日本地域福祉研究所主任研究員)

 11月5日にマイケアカフェ2021秋が開催されました。長文ですが、読んでいただければ幸いです。
 介護保険が始まって20年。制度に伴って創設されたケアマネジャーの仕事も20年が経過したわけです。
 すっかり存在が定着したケアマネジャーですが、ケアマネジャーは何をやる人か、ケアマネジャーが行うケアマネジメントとはどういうものなのか、はっきりとわかっている人は少ないのではないでしょうか?
 そこで今回は、ケアマネジメントとケアマネジャーについて掘り下げてみようと思いました。
 介護保険が始まる前から生活保護、保育、知的障害、身体障害、高齢者保健福祉、消費生活等の相談支援に約30年従事してきた経験をもち、介護保険開始後はケアマネジャーの教育にかかわってきた國光登志子さんをゲストスピーカーとしてお招きし、そもそものケアマネジメント、介護保険のケアマネジメント、ケアマネジャーについて教えてもらうことにしました。
 それを知ったうえで、利用者としてどのように関わればよりよいケアプランにつながっていくのかを考えていきたいと思います。
 参加者は29名。介護保険の利用者、利用者家族、医療福祉の専門職、ケアマネジャーなどさまざまな立場の人が意見を交わしました。

○「ケアマネジメント」の歴史について。
 このマイケアカフェのテーマは「ケアマネジメントの20年」としていますが、実は國光さんによると、日本におけるケアマネジメントの歴史はそれより10年も前に遡ります。
 ケアマネジメントという考え方は、障害があっても地域社会で普通に暮らすことができるようにしようというノーマライゼーションの実践として1970年代にアメリカで生まれました。
 それまでは障害者や低所得など地域での生活が困難な人に対しての福祉策は、大規模施設でのサービスが主流でしたが、地域で普通に暮らすための支援のための手法としてアメリカで生まれたこのケアマネジメントの考え方が、北欧、イギリス、カナダに広がってきたものだとのことです。この欧米の考え方の情報がやがて日本にも入ってきたのです。

○日本における福祉制度の変遷
 日本の福祉制度は戦後間もなく生まれました。
 最初が1949年、戦後4年後に身体障害者福祉法の制定。これは戦争で障害を負って復員してきた人の支援が視野に入れられていました。続いて1950年の生活保護法、児童福祉法、1960年に精神薄弱者者福祉法、1963年に老人福祉法、1982年に老人保健法と続きます。
 このあたりから保健の概念が少し変わってきます。それまでは隔離するなど伝染病予防が中心でしたが、隔離や施設から、地域で暮らすことを支援するという方向になってきたのです。
 1982年から先駆的な自治体においては保健師が公務員として配置され始めました。
 1985年、長寿社会対策、高齢者対策を始めるきっかけが、ノーマライゼーションの動きを日本でも広めようという動きでした。
 その実態を見ようということで、先駆的地域における総合相談、訪問看護、保健指導等を調べた「19地域におけるケアマネジメント現状と課題」という報告書があります。
 その中には、1970年代後半くらいから行われていた、地域特性に応じた様々なケアマネジメント事例が報告されていました。
 事例の共通点は、「寝たきりになっても介護が必要になっても、施設や病院でなく、住み慣れた家で医療や保険、福祉サービスを利用してその人らしく暮らし続ける」という考え方。この考え方は後の介護保険制度にも継承されています。
 国も動き出しました。
 1989年のゴールドプランでは、ケアマネジメントが政策化され、その拠点として全国に目標1万カ所の在宅介護支援センターを設置するということになりました。
 在宅介護支援センターは、総合相談、申請手続き代行、24時間開設する機関として1990年から老人福祉法において事業化され、1994年の制度改正では、老人福祉法の規定に従って、実施要項が設けられ、総合的なケースマネジメント機関として個別処遇計画を策定するよう位置づけられました。

○介護保険の創設
 こうした中で、1996年介護保険法案が国会に提出されました。
 1997年5月に修正されて可決、12月に公布となり、以降介護保険をどううまく運用していくかが優先課題となっていきます。
 公的介護保険について国民の理解を得ることをめぐり、次のようなさまざまな議論が繰り広げられました。国民的理解への合意形成に精一杯というのが実際のところだったようです。

  1. 5つ目の社会保険であることへの理解
  2. 被保険者は保険料を死ぬまで払い続けることへの理解
  3. 民間保険ではないので、満期、返戻金はなく、介護保険サービスを利用することなく命が終われば、保険料は掛け捨て? 「喜んで掛け捨てにしよう」と思ってもらえるか?
  4. 老人福祉法の措置による在宅サービスを利用していた人は途切れることなく、切り替えは上手くいくのだろうか? 


 ケアマネジャーに対する研修も混乱していたといいます。
 措置制度から介護保険制度への切り替えは何とかスムーズにいきましたが、問題点が見えるようになり、介護保険法はこれまでに改正を繰り返しています。
 ケアマネジメントの資質についても言われ始め、ケアマネジャーの研修についてもカリキュラムの見直しが再三行われてきましたが、今、「居宅介護支援」「介護支援専門員」のケアマネジメントの業務に対する期待と評価は次のように整理できます。 

  • 介護保険制度の周知・定着
  • 軽度者の重度化傾向に対する歯止め役
  • 違法行為者に対する法令順守のチエック機能
  • 地域づくり、まちづくりの仕掛け、支え手
  • 制度の持続可能性への期待


○在宅介護支援センターと居宅介護支援の比較
 ここで、介護保険前の老人福祉法に基づいた在宅介護支援センターと介護保険の居宅介護支援のケアマネジメントを比較してみましょう。

  • 老人福祉法「在宅介護支援センター」
    • サービス・支援の必要性を見極めるアウトリーチからスタート
    • 本人のみならず、家族の問題にも対応
    • サービス利用に伴う限度額はなく、自己負担金の負担能力を勘案
    • 老人福祉法のサービス以外にも、必要な社会資源につなぐ

  • 介護保険法「居宅介護支援」
    • 要介護認定を受けてから、相談にのる。
    • 契約なので、相談、申し込みに来ない人は対象外
    • 個人別ケアプラン
    • 介護保険サービスの利用を最優先するケアプラン
    • 施設入所もケアマネジメントの対象とした。→「在宅の限界点・・?」
    • 給付管理に縛られるケアマネジメント

 具体的に説明すると

  • 老人福祉法における在宅介護支援センターが、本人だけでなく影響力がある家族の問題も対応し、介護状態でなくても生活困窮や調理ができないなどの問題に対して一緒に考えていたのに対し、介護保険では、在宅で夫婦ともに認定を受けても一人ひとり別のプランとなり、家庭や家族や生活というかたちをバラバラに切り離したアセスメントを行わざるを得ない。
  • 在宅介護支援センターでは、金銭的にはサービスに限度額はなく自己負担金の負担能力を勘案しながらケアマネジメントを行っており、老人福祉法のサービス以外にも社協のサービスや地域資源も組み合わせてやっていたのに対し、介護保険では介護保険では、限度額、給付管理という縛りがある。そして、介護保険のサービスを利用するということが前提で、介護保険サービスにつなげていなければ報酬が入らない。
  • 在宅介護支援センターは、地域で普通に暮らす暮らし方を支援するケアマネジメントという考え方であったのに対し、介護保険では、施設での暮らしもケアマネジメントという枠組みの中に入れ、施設の人もケアプランを作成する。そうしたことから、在宅で厳しくなると在宅の限界点としてケアマネジメント上で施設入所を考えるようになったが、これは従来のケアマネジメントではなかった視点。


 在宅介護支援センターでのケアマネジメントと介護保険のケアマネジメントの両方を熟知している國光さんのお話を伺い、介護保険の枠の中のケアマネジメントは本来のケアマネジメントから変質してきたように感じました。
 さて、そうした中で私たち利用者はどう向き合っていけばいいのでしょうか?
 國光さんは、

  • 利用者もケアマネジメントの楽しさ、やりがいを実感してほしい。
  • ケアマネジャーの負担軽減に利用者として協力できることは?…アセスメントに不可欠な生活状況の把握は「玉手箱」を活用したらいい。
  • 制度改正に対する情報提供が利用者に届くように利用者も声を挙げたい。
  • 医療連携の促進に利用者・家族ができることがあるのでは?…患者だから、家族だから聞けること、聞きたいことがあるはず。

といったことを掲げ、「こうした姿勢が、被保険者として、国民として、地域の一員としての役割です! 」
と話を結びました。

続いて、ニッセイ基礎研究所の三原岳さんが、「20年で振り返るケアマネジメント、ケアマネジャーの論点」と題して、補足説明を行いました。

○ケアマネジャーと高齢者の関係
 ケアマネジャーに対する介護保険制度の報酬は、介護保険サービスを組み込んで給付管理を行うことで居宅介護支援費が支払われる構造となっています。
本来、ケアマネジャーは「利用者の代理人」として位置づけられていますが、ケアプランに介護保険サービスを組み込まないと報酬を受け取れないこの構造が利用者の代理人になりにくい要因となっています。

○ケアマネジャーと介護事業者の関係
 ケアマネジャーの事業所の大半は独立しておらずサービス事業所の併設となっています。これは制度創設時に、サービスが拡大せずに「保険あってサービスなし」が懸念されたためで、ケアマネジャーの定着とサービスの拡大には役立ちましたが、そのため親会社の意向が反映されやすい構造となっています。
 これを解消するためには居宅介護支援費の引き上げが必要ですが、実際問題として財政難でそれは困難です。
 国は、対策としてケアプランにサービス事業所が集中した場合は減算させる措置などを導入しています。

○ケアマネジャーと市町村の関係

  1. ケアマネジャーは給付管理の役割を担っており、市町村の代理人としての側面も持っています。さらに市町村に許可・指導権限が委譲されており、市町村の意向を気にせざるを得ない構造になっています。
    制度を作る際に要介護認定とケアマネジメントが切り離されてケアマネジメントを制度に組み込まれました。そうしたことからケアマネジメントが「手続き」となり、ケアプランは「介護保険サービスを受けるための計画」としての側面が強くなりました。
  2. 2015年に地域ケア会議が制度化されました。これはケアマネジメントの一環として実施されるサービス担当者会議が機能していないことへの対策としたものですが、行政からケアマネジャーによるケアプランの変更を促すような場になっているところもあります。

 このように、ケアマネジャーは、高齢者、事業者、市町村の間にあってとても難しい立ち位置にいるのです。
 介護保険の枠の中でのケアマネジメントは制度の枠に加えて微妙な立ち位置によって、本来のケアマネジメントとはとは異質なものになっていると感じました。
 三原さんによると、国は、2021年度の改正の中で、ケアプランの中に位置づけるインフォーマルサービスへの配慮や退院時の支援に加算をつけるなど、介護保険枠を超えたケアマネジメントを評価する方向を示しました。
 また、生活援助を多く組み込んだケアプランに関する提出制度を設け、適切にアセスメントを行って利用者の意向や状態に合ったケアプランにつなげるように促してはいます。
 ケアマネジャーの努力は常々見ています。また国も考えています。
 でも経緯や現状を聴き、利用者としてできることはないのかと思いをめぐらしたとき、やはり、利用者が丸投げせずにきちんと考え、できる限りアセスメントに協力し、ケアマネジメントの過程に参加することが一番の解決策なのではないか、というところに帰結するのですが、いかがでしょうか。(文責:島村)

マイケアカフェ2021 夏

日時:2021年8月20日(金)19:00~21:00
場所:zoomを使ったオンライン
テーマ:「介護保険制度改正のモヤモヤを解く~~20年で改めて考える「自立」の意味~」
スピーカー:三原岳さん(ニッセイ基礎研究所主任研究員)

  今年4月に介護保険の報酬改定がありました。でも、利用者、市民のところには何がどう変わったのか、まったく情報が届いていません。
 利用者が置き去りにされたままこのまま進んでいきそうでモヤモヤするので、今回の改定の枝葉末節にとらわれず、大きな視点で制度の大きな流れを俯瞰して見直し、今後利用者がどうかかわればいいのか考えていきたいという趣旨でマイケアカフェ2021夏を開催しました。
 ゲストスピーカーとしてニッセイ基礎研究所の三原岳さんに、利用者の視点から制度の流れを解説してもらい、今回の改定を通して見える方向性を知り、これから利用者はどう対峙していけばいいのか、考えました。

★講演
 三原さんは自己紹介の後、介護保険が20年でどのように変化してきたのか、そこから見えてくる方向性を次のような内容を軸に、膨大な資料を駆使しながら説明してくれました。

  • 乱用される「地域包括ケア」
  • 介護保険制度の20年を振り返る
  • 「自立支援」という名の予防重視
  • 「担い手」の多様化
  • 制度の複雑化


【乱用される「地域包括ケア」】
 そもそも「地域包括ケアシステム」の源流をたどると、そのひとつは1990年代、広島県の御調町(現在は尾道市)の公立みつぎ総合病院における取り組みにあります。中心となった山口昇院長の著書『寝たきり老人ゼロ作戦』(家の光協会)には、「地域包括システムとは、保健・医療・福祉の連携による高齢社会を視野に入れた、住民の健康づくりからアフターケアを含む住民参加のシステム」とあり、2014年成立の地域医療介護総合確保推進法では「地域の実情に応じて、高齢者が可能な限り、住み慣れた地域でその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、医療、介護、介護予防、住まい及び自立した日常生活の支援が包括的に確保される体制」と定義づけられています。
 しかし今、「地域包括ケア」という言葉は、在宅医療、医療・介護連携、介護保険制度改革、住民同士の支え合いなどさまざまな分野で非常に多岐な意味合いで聞かれ、便利に使われる言葉になっています。
 国の説明もわかりづらく、言葉を整理しないまま法律に盛り込まれているため訳が分からなくなっている印象があります。
 「その背景には、給付抑制や負担増に対する批判をそらす目的がある」と三原さんは分析しています 。
 この背景に至る経緯を、三原さんは時代の流れに沿って説明してくれました。

【介護保険制度の20年を振り返る】
 三原さんは映画を引き合いに、日本の社会福祉制度ができたころの時代背景を説明してくれました。1960年代、平均寿命が男性66歳、女性が71歳だったころの映画「赤い蕾と白い花」では、68歳以上の人生を「おつり」とする表現が出てきます。同時に「にっぽんのお婆ちゃん」という映画では、核家族化の進展や居住環境の変化 などを踏まえ、高齢者の居場所が失われるなど、一部で問題が顕在化しているさまもうかがえます。このような時代、1962年に老人福祉法が制定されました。
 「今、人口構成が変わったのだから、新しい人口構成に合った新しい社会保障制度に変えていく必要がある。でも制度は一気に変えることはできないので、少しずつ変えていかざるを得ない。社会保障制度改革のスピードと高齢化のスピードがなかなか合わずギャップが起きているのが今の実態」と三原さんは言います。 高齢化のスピードが速く矛盾が出てきたころの映画として、1970年~80年代「恍惚の人」と「花いちもんめ」が挙がりました。
「恍惚の人」では嫁が犠牲になって介護を背負う様や、受け皿が精神病院しかないといった実態が分かりますし、「花いちもんめ」では身体拘束などの認知症ケアの当時の情景が描かれています。
「こうした状況を何とかしないといけないというのが介護保険発足の一つのきっかけにもなっている」と三原さん。介護保険制度創設の狙いには次のようなことがあったと言います。

  1. 在宅ケアの選択肢がない
    • 社会的入院…介護保険は社会的入院を解消して在宅ケアを作っていくという目的
  2. 女性の介護負担
    • 家族、特に女性に負担が集中していたので介護を社会化して女性の負担を減らそう
  3. 高齢者の人権、尊厳無視
    • 自治体がケアの内容を決める措置制度。高齢者の選択権が担保されず人権や尊厳が無視されがち。高齢者の自立や自己決定を重視
  4. 病院にしか受け皿がないと医療費がどんどん増える→社会保障費が圧迫本来必要な医療に使われなくなる。本来在宅ケア受け皿を作るお金を使うことで医療費の負担を減らす、結果的に医療費の適正化につながる。(当時厚労省が国会で「トータルの費用は増えません」という説明をしたこともあったそうです。医療費を削りたいという思惑がうかがえます)

 介護保険の基本的な考え方は、1994年の厚生省有識者介護報告書に見ることができます。「措置制度では自らの意思で選択できない」「高齢者が自らの意思に基づき自立した質の高い生活が送れるように」それが高齢者の自立支援であると書かれています。
 また「社会的入院は福祉サービスの整備が相対的に立ち遅れてきたためで、逆に福祉サービスを整備すれば社会的入院は減るのではないか」という期待感も込められています。
 こうした経緯で、介護保険制度は6年ほどかけてじっくり議論されて発足し、3年に1回の頻度で制度改正が行われています。
 20年経った今、制度は曲がり角に来ています。
 そこには、介護保険制度を運用する上で大きく2つの問題、すなわち「財源の問題」と「人手の問題」があると三原さんは指摘します。

〈財源問題〉
 介護保険給付費は当初の3兆6千億円から今は10兆円超となっています。
 これは、制度が国民にとって身近なものになって利用するため増えるということでもあり、その分国民に定着したという見方も可能なので、その意味で介護保険は成功だったと三原さんは見ています。
 一方で、費用の増加には、高齢化が進み要介護要支援者が増えその結果介護保険給付が増えているという理由もあります。
 介護保険の財源構成はシンプルです。半分は国民からの保険料、半分は税金です。給付費が増えれば、それだけ保険料負担も税負担も増えます。そこで、財務省からは介護保険給付を減らせ、財界からも(雇用主が第二号被保険者の保険料を半分負担しているので)、給付費もっと減らせと圧力がかかります。
 さらに全体の23%を占める第一号被保険者の保険料はもう限界点です。第一号被保険者の保険料全国平均は2000年には2911円でした。これが現在は2倍に増えています。これ以上増やせないだろうというのは共通認識になっているといいます。

〈人手の問題〉
 介護現場では恒常的な人手不足となっており、国の予測によると、2025年に32万人、2040年で69万人の不足との数字が出ています。32万人というと東京都豊島区の人口くらい、69万人というと鳥取県の人口と同じくらいというとイメージが湧くと思います。
 これに対して国も、処遇改善加算、外国人労働力、高齢者労働力、文書量削減、ICTやロボットの導入などなど、さまざまな手を打ってはいますが解消の糸口は見えていません。
 処遇改善加算などで平均給与は上がってきてはいますが、これ以上上げるとなると財源確保が必要になってきます。
 これらの問題をクリアするには、「財源を増やす」か「給付を減らす」の2つが考えられますが、そのためのいかなる方策も誰もが納得するとは思えません…。
 結局、「要介護者を減らして給付を減らす」という方向に進みつつあるのが現在の状況だといいます。

【「自立支援」という名の予防重視】
 そして、「要介護者を減らすために介護予防を強化しよう!」となり、これが「自立支援」とされるようになりました。
 ここで言われている自立は身体的自立であり、何でも自分でできることをもっぱら意味しています。
 特にその傾向が現れたのが2018年改正です。「制度の持続可能性を維持するため高齢者になるべく要介護状態とならずに自立した生活を送っていただくための取り組みを進めることが重要」とあり、市町村もそのためにがんばってくださいと言っています。
 介護保険制度創設時に語られていた「自立」と、現在の国が言っている「自立」では、「自立」の意味合いが変わってきたわけです。創設時の介護保険制度では高齢者の自己決定を重視し、これを「自立」と呼ぶだけでなく、尊厳が確保される点が強調されていました。それが、何でも人手を借りずに自分で完結できるようになるという身体的自立に変容してきたのです。高齢者の要介護状態の維持や改善、治る介護、介護保険からの卒業を目指し、給付費の抑制につなげようということだと思われます。
 その流れの中で、今回の制度改正の中で一番議論されたのが科学的介護です。介護を科学化するとのことで、これは2017年年くらいから議論が始まって21年の制度改正報酬改定で本格導入されたものです。
 LIFEというデータベースに現場からデータを吸い上げる、それを厚労省で分析して現場にフィードバックして現場のケアに反映しようというもので、導入する事業所に対して加算がつけられています。
 しかし、肝心のフィードバックについては具体的なイメージはまったく見えていない状態です。5年も議論して、まだフィードバックが出ていないことに対して三原さんは大きな疑問を投げかけました。これはこれからの論点の一つにしていくことが必要でしょう。

【担い手の多様化】
 人手不足の解決策として、担い手の多様化を目指す方向もあります。
 これを狙ったのは「介護予防・日常生活支援総合事業」です。
 総合事業の背景には、認定者数の中の要支援の人が増え続けているということがあります。増えている要支援者を抑えるために、軽度の人の訪問介護と通所介護を地域支援事業に移管して廉価な単価でのサービスを提供することにしたわけです。そして担い手を増やして住民が住民で支え合えるような仕組みを取り入れています。しかし実際には住民参加型の担い手は増えていません。
 総合事業の担い手の大半は従来型サービス(介護保険事業者)からの振替で、住民主体のカフェ等を制度に取り込むという意図は進んでいなません。
 この制度は、介護保険料の一部を地域支援事業に投入するなど制度をややこしくしており、次のテーマである制度の複雑化に一役買っています。

【制度の複雑化】
 ケアプランを作成する時に参照する介護サービスコードの数を見ると、20年間で10倍以上に膨れ上がっています(約1700項目→約25000項目)。これは、細かい加算や減算がどんどん増えていくからです。
 21年度については、財務省から簡素化に関する問題を指摘され、厚労省は報酬体系の簡素化に言及していますが、複雑化は止められませんでした。
 こうなる事情を、三原さんはわかりやすい戯画的なスライドで説明してくれましたが、財務省や業界団体、職能団体等をめぐる目先の利害調整が細かい加算や減算の算定につながり、この事態を招いていることが分かりました。
 制度の複雑化は、市民・利用者から考える意欲を削ぎます。理解できず、丸投げしたくなる心理を生みます。
 最後に三原さんは、「市民のサイドから複雑化すると困りますということをもっと言っていき、利用者が簡素化への圧力をかける必要がある」と講演を締めくくりました。
 「モヤモヤを解く」と銘打ったマイケアカフェですが、三原さんのお話で方向が見えたところでさらなるモヤモヤにつながった気がします。
 今回のマイケアカフェにはたくさんの専門職でない一般市民が参加してくれました。「知らないことばかりで目を白黒して聞いていました」「こんなことが起きているなんて」といった声、「たくさんの内容だったけど、終わってから振り返ると、これまでの歴史、全体を通して話してくれたので、流れがとてもよくわかった」「やはり利用者が問題点を理解したうえで賢くならないと」といった声が寄せられました。きっとこれからもモヤモヤを深めていってもらえると思います。
 介護保険に対してマイケアとしては、もっと利用者を中心に据えてほしい、利用者の暮らしを基盤に考えてほしいという望みがあり、これについてはごまめの歯ぎしりでも訴えていこうと思います。
 ただ、この流れを私たちが引き戻すということは難しいかもしれませんが、利用者が動じる必要はないと思います。
 介護保険は私たちの暮らしを支える一つのツールに過ぎません。介護保険がすべてではないし、介護保険が私たちの生き方とか価値観を決めるものでもありません。
 制度がどう変わっても、市民として利用者としては、自分の暮らしを最期まで自分で決めながら生きていくために、地域資源や自分の周りのネットワークを作っていきながら、選択肢の一つとして介護保険と向き合っていくことが大切だと思っています。(文責:島村八重子)

マイケアカフェ2021 冬

日時:2021年2月9日(火)19:00~21:00
場所:zoomを使ったオンライン
テーマ:「介護保険20年。出発点から考える今と未来」
スピーカー:香取照幸さん(上智大学総合人間科学部教授、一般社団法人未来研究所臥龍代表理事)

 コロナ禍のため開催を控えていたマイケアカフェですが、1年ぶりにオンラインで開催することができました。テーマは「介護保険20年。出発点から考える今と未来」。
 介護保険ができて20年。その間何回もの改正を経て現在に至っています。
 今回のマイケアカフェではゲストスピーカーとして、介護保険の制度創設に関わったほか、年金局長や雇用均等・児童家庭局長などを歴任された香取照幸さんをお招きしました。香取さんは老健局振興課長の時、マイケアにもご支援くださった経緯があります。
 香取さんから制度創設時の理念や経緯、行政から離れた立場となって、今、見えることやこれからに向けてのメッセージなどをお話しいただき、その後は参加者との意見交換を行いました。

★前半・講演
 最初に、香取さんが介護保険制度を創設した当時に制度に込めた理念、20年を迎えた介護保険制度の達成度、これから先、何を見すえていくべきかについて自論を展開しました。

【介護保険に込めた思いと制度の20年】
 26年前の1995年1月、阪神・淡路大震災の2週間後に現地に行き足の踏み場もないほどの避難所の状況を目の当たりにした香取さんは、ある人から次のように言われたそうです。
 「これは20年後の日本だ。あなたたちが何もしないでボーっとしていると、20年後には日本はこうなっている。よく考えて仕事をしてくれ」。
 「介護保険は2000年にできました。でも2000年時点の高齢者の状態を見て作ったわけではないんです。この先10年、20年経ったら何が起こるかと、世の中がどうなっているかということを考えて、将来の絵姿を頭に思い浮かべながら作ったのが介護保険制度です」と香取さん。
 介護保険制度をつくるにあたり、上位概念―理念として据えたのは「介護の社会化・自立支援・尊厳の保障」でした。香取さんは、その理念のもとにできた日本の介護保険を「未来を見通し、よく考えて作り込んである制度であり、発足から20年余経ち、総体としてみれば国民生活に定着し、よく機能している」と評しました。

*****
(以下は当日資料より抜粋)
〇高い給付水準、寛大な給付範囲・客観的で公平な要介護認定システム・ケアマネジメントの制度的導入・小規模多機能サービス・個室ユニットケア、などに対する国際的な評価は極めて高い。
〇そうした介護保険の先進性は、制度の基本設計を支える理念に由来する。
   「市民的権利としての介護ー市民自治型福祉(VS公権力主導型福祉)」 
   「介護の社会化ー普遍的・一般的サービスとしての介護」
   「当事者責任ー高齢者自身の拠出を含む市民の費用負担・制度参加」 
***** 

 さらに、「介護保険は完成形ではなく今なお『現在進行形』の途上」と述べ、「改正の時に大事なことは制度の基本理念を踏まえた課題を整理して改革の方向性を提示することであり、目先の課題に目を奪われて近視眼的・妥協的な制度改正をすることは、制度の理念を曖昧にし、将来に重大な禍根を残す」と、改正をする側(行政)が踏まえなくてはいけないことについて釘を刺す言葉が発せられました。
 さらに制度を良い方向に変えていくために、「制度には『理念』があり、現場には『実践』がある。制度は現場の実践を支え、現場の実践は制度の理念を実現する関係。制度をいじる時は、そうする中で生まれた現場の問題提起を受けとめて制度改革するというやり取りが大事」だと述べました。
 また必ずしも、行政が「制度」を作ったりいじったりするのを待って現場が「実践する」というわけではなく、まず現場で理念を土台に工夫をしてより良い新しい実践を行い、それを普遍的一般的にするために後追いで制度が整えられたという例がいくつもあると述べ、現場先行で制度を整える道筋を示しました。
 小規模多機能型居宅介護や認知症グループホーム、24時間巡回ケア、個室ユニットケアなどはその好例といえます。
 現場の実践に大いに期待したいところです。

【この先20年に向けて】
 次に、この先の20年、2040年の課題として、認知症ケアモデル、独居モデルの構築。そして到達点として地域包括ケアシステムのネットワーク構築を挙げました。
 後述するように、事前にいただいた質問の中に「振り返ってみて制度創設時には、まったく予期していないことが起こりましたか?」という質問がありましたが、香取さんはこれに答えて「想定をしていなかったわけではないが、認知症の人の数は当時考えていたよりも格段に多い」と述べ、認知症の人のケアのあり方を早急に確立する必要性を強調しました。
 「医療的なモデルの中で考えられてきた認知症の問題を、介護の現場がケアを通じて解決するということをずっとやってきたのが認知症ケアの歴史だが、一方で、この間医学的にも知見が進んできた。その医学的知見も取り入れることも必要だし、個別の認知症ケアをきちんとやっていくということが必要。そのためには、サービスの絶対量を整備していくためにきちんと数値を掲げて、計画的に確保していくことをもう一度考えた方がいい。例えば認知症の人の三分の一、あるいは半分の人を在宅で支えるとなったら、具体的にどのようなサービスがどれくらい必要となるのか、小規模多機能がどれくらいでグループホームがどれくらいで、特養のケアはこういう風に変えていかないといけない、など、今までやってきた議論を引き続きやっていかないといけない」と語りました。
 独居については、あと20年もすると高齢者の四分の三は独居か高齢者世帯になり独居を前提に考えなくてはいけないとした上で、「昔のように独居だったら施設という世の中に戻るのではなく、在宅での独居高齢者を前提にサービスのモデルを考え直すことが必要」と述べました。
 ここでも、そうした高齢者を支える実践により制度をリードする、現場の工夫の姿勢が期待されるところです。
 地域包括ケアは、現時点での介護保険の到達点と香取さんは言います。
 「今すでに、地域で暮らす重医療で要介護の高齢者がかなり増えており、これからもどんどん増えていく。今までもそうだったが今まで以上に、医療と介護を一体的に提供するネットワークが現場に具体的にできていないといけない。よく施設と在宅、医療と介護と言うが、そもそもそういった二元論で介護を考えるという考え方そのものを変えていかないと、地域に暮らすそうした高齢者を支えていけない」。そうした意味で、「実現させるためにはサービスが地域にきちんと存在しているというのが大前提なので、包括性とか継続性ということを概念だけで言うのではなく具体のかたちで考えていくことが必要」と述べました。

【自立とマイケアプラン】
 最後に、「自立」と「ケアプランを自分で作るということの意味」を語り、前半の講演を締めくくってくれました。
 「自立とは、身体的に自立していること(だけ)ではありません。自立とは、精神的にも社会的にも自立していること。その延長には連帯とか他者とのかかわりがあると考えます。自分で決めて自分で決めたことをやる、自己決定と自己実現が自立。こういう風に考えれば、認知症の人にも自己決定もあるし自己実現もあり、それを支える自立支援もあります。
 ケアプランを自分でつくる意味とは、ケアプランを自分の手で書ききるとかあちこちに電話してサービスの手配をするということではなく、まさに自分自身に関わるケアについて自分で判断して自分で決定できる自分をつくるということ。そこが大事なことだと思います。
 自分のことを自分で決め、それを実現する術を自分で考えて、ケアマネジャーもどうやって使いこなすか、サービスを使いこなすか、自己実現力を見につけるというのがケアプランを自分でつくることの意味だと考えます」。

 ★後半は会員の三原岳さん(ニッセイ基礎研究所主任研究員)によるモデレートの下、質疑応答が行われました。以下、詳しく書いていきたいと思います。

【認知症と独居高齢者】
 まず、「制度を作った時点で予期していなかったことは?」という質問に対し、香取さんは「2005年に最初の制度改正を実施した際、高齢者介護研究会で認知症モデルを考えた。その時に2015年で200万人が認知症になるという推計を出したが、それでも過大推計だと言われた。でも、今はMCI(軽度認知障害)も当時の想定よりも出現率が高くなった」と述べました。さらに、一人暮らし世帯の増加に関しても「現実にはそこまでのサービスができていない」と話しました。
 このうち認知症に関しては、予防と共生を「車の両輪」とする政府の「認知症施策推進大綱」が2019年6月に取りまとめられましたが、香取さんは「予防の重要性は否定しないが、予防が施策の前面に出るのは心配」としつつ、個別具体的な整備目標や工程表が少ない点を指摘して、大綱については「あまり評価していない」と語りました。
 認知症の関係では、ポリファーマシー(多剤投与)の議論にも発展。香取さんは一部病院の多剤投与を問題視しつつも、「医療の世界で医者たちが多剤投与を問題にし始めた。かなり意識は変わった」と話しました。

【人手不足】
 懸案となっている現場の人手不足に関して、香取さんは「介護分野だけでなく、国全体として労働力が不足している。日本以外から労働力を調達するのは考えざるを得ない。労働力はモノじゃないので、市民として受け入れないといけない」と指摘。
 さらに、「キャリアパスを作るとか、5年10年務めることができる職場にするとか、経営の問題として雇用管理を考える必要がある。雇用政策の視点も重要」と話すなど、報酬の引き上げを含めて個別具体的な取り組みを積み上げる重要性が話題になりました。

【自立と自立支援】
 さらに「自立」という言葉の意味が変わった点も論点に。制度創設時は「自己決定・自己選択」を意味していたものの、最近は「身体的自立」の視点が強調されています。この点に関して、香取さんは「自立と孤立は違う。自立や自助は重要で、自立があって初めて共助や公助の助け合いがあるが、同時に誰もが他人なしに生きていけることはない。自己決定とか自己実現とは他者との関わりの中で達成され、意味を持つもの。人間は社会的動物。身体的に自立していても社会的に孤立していたら自己実現はできない。ここの認識が不十分だと、社会保障の議論は成り立たなくなる」と述べました。
 Zoomのチャットでは会員の理学療法士から「フレイル予防などでは身体的な自立だけではなく、社会的にも精神的にも自立していく支援が大切では」との指摘が入り、香取さんは「自立支援に関して、一番よく話が通じる人は作業療法士や理学療法士。介護職の人は基本的にお世話をするが、作業療法士や理学療法士は『何ができるか』を考えている。自立支援を考えるポイントは残存能力や自己能力の開発」と発言。北欧では福祉用具を「自助具」と呼んでいる点を引き合いに出しつつ、「最後は自分で決めるわけだから、決めることをどうやって助けるか、世の中の専門職に求められている」と話しました。

【ケアマネジメント】
 当日はケアマネジャーが多く参加していたこともあり、ケアマジメントも議論になり、香取さんが「未完の体系」と形容しました。
 例えば、介護保険のサービス仲介だけがケアマネジャーの仕事ではないにもかかわらず、介護保険のサービスが入っていないと報酬を受け取れない課題に言及。さらに、ケアマネジメントは介護保険の枠内にとどまらず、医療や介護に広がる裾野の広さがある割に、「介護保険の枠の外に出ていない」と課題を指摘しました。その上で、「ケアマネジャーに求められている要求水準は高い」としつつも、「制度の理念と現場の現実との葛藤がある」と述べました。
 さらに、ケアマネジメントの土台が固まらないまま、障害者福祉や地域共生社会にも広がっているとして、「無理をして、かえってネガティブなスパイラルが働いている面がある。元々、考えていたレベルのマネジメントに至っていない」と話しました。
 さらに保険料抑制の観点に立ち、地域ケア会議でケアプランの変更を迫る市町村が散見される現状についても、「財源を持っている人が調整するということになるので、どうしても措置的になる」と批判的な見解を述べました。
 その際、三原さんが「制度創設時に、要介護認定とケアマネジメントを分けないと、従来の措置と変わらなくなるという判断があったのに、地域ケア会議でケアマネジメントに介入すると、措置と変わらなくなるのでは」と質問し、香取さんは「地域ケア会議で物を決めるべきじゃない。基本的に分離したのは、ケアの中身はケアマネジャーと本人が相談して決めて下さいという意味。ケアプランが良くないなどの課題があるのは分かるが、いいプランを作れないケアマネジャーは利用者が替えればいい」「いいプランが作れるようなプラットフォームを作っていくというのが行政の仕事」と述べました。

【成年後見制度】
 成年後見の普及が進んでいない現状に関しても質問が出ました。これに対し、香取さんは司法が絡むと、法改正まで議論が遅くなる傾向がある。それと、裁判所のコミットメントには手間も時間も掛かる。もっと簡便かつ機能的に動けるようにしないと、普及しない」と語りました。

【地域支援事業(総合事業)・予防給付】
 軽度者向け介護予防や認知症施策、在宅医療・介護連携など、様々な施策の受け皿になっている地域支援事業についても話題になり、香取さんは「どうしてあんなに複雑にしてしまうのか分からない。カネがないから何でも地域支援事業の中に放り込んでいる印象。もっとシンプルにした方がいい」と話しました。
 さらに香取さんは軽度者向け給付にも言及。元々、要支援は「要介護状態となる恐れのある人」として創設されたのですが、現場では要介護と要支援を区分けせずに運用されているため、香取さんは「要支援の人は状態の悪化や要介護にならないための給付。本当は本体の給付と予防給付の中身が全く違っていないといけない」と述べました。
 ただ、制度創設時は十分に整理しないまま、両方を制度に取り込んだ経緯があるため、香取さんは「もっとリハビリをメインに設計を考えたけど、議論が詰まっていなかった。当時は予防のイメージが沸いていなかった」「予防のマネジメントは要介護と全く違うということで地域包括支援センターでやることになった。それはそれでいいが、マネジメントの中身が問題で、実際には措置的な給付をやっている」「要支援の人に対し、こういうサービスを提供すると要介護度の進行を遅らせられるといったデータも把握できるはず」として、軽度者向け給付や事業、予防の内容に関しては、「組み立て直しが必要」との考えを示しました。

【財源問題】
 質疑応答の後半では、財源問題も話題に。香取さんは「本当に負担できなければ給付を小さくするしかない。それは行政とか政治は案を提示するけど、最後はみなさん(国会)が決めることになる。確かに年金受給者も現役も大変だけど、一番考えなくてはいけないのは将来世代の子どもたちの負担を考えること」と指摘。
 さらに、「介護保険のような共助(社会保険)の制度と生活保護みたいな公助の制度(社会扶助)の隙間の人がいる。それは別の制度で埋めないといけない」と話しました。

【自己作成について】
 最後に、「自己作成が可能な仕組みについて、趣旨が市町村職員に徹底されていない点をどうしたらいいか」という質問が出たのに対し、香取さんは「国会議員や新聞記者に質問してもらう方法」を提案。
 三原さんが「一昨年、ケアプラン有料化という議論に合わせて、自己作成を廃止するという噂が一部で流れた。その時は色々と動いた」と水を向けると、香取さんは「自己作成廃止は介護保険法違反だね」と感想を漏らした上で、「ケアマネジメントの自己負担をゼロにするのは当時、相当な決断だったが、有料化したら使われなくなるというのであれば、利用者から信用されていない証」と指摘。
 その上で、「自分でケアプランを作るのはケアマネジャーが要らないとか、信用できないといった話ではなく、ケアマネジャーも利用者が教育していかないと」「ケアマネジャーが『いいケアプランを作っているので、黙って聞いてよ』と考えているのであれば、それは違う。利用者がケアプランに同意(契約)することは自分で作っているのと同じ」と語りました。
 初のオンライン開催となったマイケアカフェ。参加人数は当初の募集を大きく上回る39人。香取さんの率直でフレンドリーな語り口から発せられる制度創設時の理念や思いから、参加者は多くの気付きを得られたと思います。実際、予定よりも30分を超えたのに、途中で退席する人は見られず、議論は最後まで盛り上がりました。(文責/島村、校正/三原)

マイケアカフェ2020 冬

日時:2020年1月31日(金)19:00~21:00
場所:ラミヨ(目黒区五本木1-5-11)
テーマ:「自己作成支援ソフト『とき』のデモンストレーション」
スピーカー:山内昇さん(とき開発者)

令和2年初のマイケアカフェは、年末に修正が完了した自己作成支援ソフト「とき」のデモンストレーションを行いました。
この日のデモは、完成後、利用者から不具合について問い合わせがあり、前日の30日夜に再修正を完了したほやほやの「とき7.2」で行いました。
「とき」の開発開始は2001年にさかのぼります。計算が面倒で、ソフトがあればいいのになあ、と思っていた矢先に、新聞に載ったマイケア発足の記事を読んだ山内さんから電話があり、ありがたいお申し出に飛びついたのが「とき」ものがたりの始まりです。
自己作成をしている人たちの「ああしてほしい」「こんな機能があればいい」という無茶振りの注文を背負って山内さんは開発作業を行ってくれました。それで最初の「とき1.0」の無料配布が始まったのが2003年。
以来山内さんは、3年ごとの報酬改定のたびに修正を行いながらなんと20年近く「とき」を育ててくれています。
初めは、一つのサービスなら1行の計算ですんだものが、○○加算、××減算、処遇改善加算、特定加算、同一建物減算、、、、、などなど細かな加算減算が加わり、さらに支給限度額枠内の加算減算、支給限度額枠外の加算減算と、チマチマとした変更が加わって、今や一つのサービスについて10行ぐらいになることもあります。「とき」(ていうか山内さん)はそれでも何とか頑張って、くらいついています。
デモンストレーションでは、区分支給限度額枠内のサービスを利用した場合の他、限度額枠外のサービスを利用した場合、算定できる回数に上限があるケース、さまざまな加算減算、負担割合90%~70%のケース、支給限度額をオーバーした場合の計算、食費など介護保険以外の出費がある場合など、さまざまなケースをやってみました。
利用者目線で作られているので、介護保険の給付管理に必要な計算だけでなく、インフォーマルサービスも含めて最終的に利用者はどれだけの出費になるのかも確認することができます。
改めて、「とき」は優れモノだということが認識できました。ケアマネさんからのインストール申し込みも結構あるのですが、利用者に説明するためには良いんだろうな、と思います。
デモンストレーションが終わったあとは、参加者同士でそれぞれの活動や仕事の紹介が行われ、ゆっくりと意見交換を行うことができました。
参加者は9人(事務局スタッフ含む)と少人数でしたが、心づくしの豚汁と手作りのケーキでお腹を満たしながら濃い交流ができました。(文責/島村八重子)

マイケアカフェ2019 夏

日時:2019年8月21日(木)19:00~21:00
場所:ラミヨ(目黒区五本木1-5-11)
テーマ:「あらためて『ACP』考える」
スピーカー:足立大樹さん(ホームケアクリニック横浜港南院長)

令和初のマイケアカフェは平成最後と同様、ACP(Advance Care Planning)。ACPとは終末期に備えて、その人の生き方や希望を事前に伝えること。横浜市をを中心に在宅医療を提供する医師の足立大樹さんを再びお招きし、ACPの利害得失をお話し頂きました。
ACPについて、厚生労働省は「人生会議」という愛称を付け、もしもの時に望む医療やケアについて前もって考え、家族や医療・ケアチームと繰り返し話し合って共有する意味を込めています。
イベントの冒頭、足立さんはイギリスにおけるACPの定義として、「今後の治療・療養について患者・家族と医療従事者があらかじめ話し合う自発的なプロセス」と定めている点を紹介。
その上で、ACPが生まれた背景として、アメリカで患者を中心とした自己決定による限界があると見なされるようになったため、患者と医師の共同による意思決定を重視する観点に立ち、ACPが浮上した点を紹介してくれました。
しかし、神戸大学(厚生労働省委託事業)のパンフレットでは「万が一の時」「もしもの時」といった終末期を意識しつつ、「家族や友人の心の負担が軽くなる」と説明しており、イギリスの定義で言う「自発的なプロセス」とは異なる説明になっています。
これらの点を踏まえ、足立さんは「今起きていない未来のネガティブな出来事を想像して考えをまとめることって可能だろうか」「医療者の役割はなんだろうか?」どの疑問を呈しました。
その上で、「患者にとっての価値は生活の在り様に関係しており、生活支援を抜きにした治療や延命は価値をもたらさない」「生活に対して医療ができることは限られている」と述べました。
例えば、脳梗塞になった人が左半身まひになった後、職場復帰しようとすると、歩行がネックになり、その際には移動手段や職場の環境、本人の価値観などが絡みます。
こうした生活を考えることを医療とは無関係に考える必要があるし、生きる道具として医療を使う視点が重要だと、足立さんは強調。さらに、「ACPは患者、医療者の双方にとって難易度の高いことであり、ホントにできるのか、「『その人らしさ』といった曖昧とした言葉に丸め込まれないように気を付けなければならない」と続けました。
その上で、「人の気持ちは揺れ続けるので、首尾一貫しない自分を認める必要がある。結論を急がない」と述べ、プレゼンテーションを締めくくりました。
その後の意見交換では、参加者から「もっと臨床の現場に宗教家がいると、迷わなくなるのではないか」「心理専門職の方が対話の中で不安を取り除いてくれるのではないか」といった意見が出ました。
さらに、自分の看取り経験や高齢の家族を持つ不安、介護専門職としての経験を引き合いに出しつつ、「『家族に迷惑を掛けたくない』と忖度する思いが優先されると、本人の意思はどうなるのか」「残された家族の思いを考慮する必要があるのでは」「看取りについて本人も家族も納得したと思うけど、これで良かったのか分からない」「遠距離に住む母親と話そうとしても、上手く話せない」といった意見や感想が示されました。
これに対し、足立さんは「死とは絶対的な別れ。家族が『まあまあ良かったのかな』と思えるのであれば、良かったのでは」「家族同士はめっちゃ難しい。忖度や遠慮が絡んでくる。むしろ、関わっている地域の方に聞いたらどうか」と述べました。
さらに、参加者から「冷静に自分のことを分かってくれる医療職を探すのが重要では」「多職種で話し合うことが大事」「行政が熱心に薦めるのではなく、市民が自分事として考えることが重要」といった問題提起があり、足立さんは「ほとんど患者と接点を持てない急性期では、患者―医師とのコミュニケーションが無理。医療職サイドの問題だけでなく、大病院に行きたがるなど、医療サービスを使う側の問題もある」「どういうコミュニケーションが有効か分からない。多職種に囲まれると、医師を言えなくなる人もいる」「家族との関係が強い日本で、ACPはどこまでうまくいくのか。本人の意思じゃない可能性は結構あるのではないか」と発言。
さらに、参加者からは「診療ガイドラインのように『ACPで解決できる』と受け止めている医師が多いのでは」「死ぬ瞬間に『死にたい』と聞いても答えられないし、想像できない。どうやって地域で関係者と関係性を作るかが重要」といった発言があり、足立さんは「ACPを使えば何か解決するような議論になっているが、答えなんて誰も分からない。魔法みたいなものはない」と述べました。
参加者は23人(事務局を含む)。参加者には西瓜も供され、お借りした認知症カフェ「ラミヨ」の議論は白熱し、終わった後も意見交換が続いていました。(文責/三原)

マイケアカフェ2019 春

日時:2019年4月18日(木)19:00~21:00
場所:ラミヨ(目黒区五本木1-5-11)
テーマ:「アドバンス・ケア・プランニング~人生会議」を考える」
スピーカー:足立大樹さん(ホームケアクリニック横浜港南院長)

平成最後のマイケアカフェのテーマはACP(Advance Care Planning)。ACPとは終末期に備えて、その人の生き方や希望を事前に伝えること。横浜市をを中心に在宅医療を提供する医師の足立大樹さんをお招きし、ACPの利害得失をお話しいただきました。
少し言葉の定義を確認すると、日本医師会はACPについて、以下のように定義しています。
・将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、患者さんを主体に、そのご家族や近しい人、医療・ ケアチームが繰り返し話し合いを行い、患者さんの意思決定を支援するプロセス。
そして、厚生労働省は「人生会議」という愛称を付け、もしもの時に望む医療やケアについて前もって考え、家族や医療・ケアチームと繰り返し話し合って共有する意味を込めています。
さらに、2018年度診療報酬改定ではACPを実施した場合の加算も設けられており、医療現場ではACPの普及に向けた様々な研修会などが開催されています。
イベントの冒頭、足立さんはイギリスにおけるACPの定義として、「今後の治療・療養について患者・家族と医療従事者があらかじめ話し合う自発的なプロセス」と定めている点を紹介。さらに、ACPが生まれた背景として、アメリカを中心としたクライアント主導の自己決定による限界があり、患者と医師の共同による意思決定を重視する観点に発ち、ACPが浮上した点を紹介してくれました。
ただ、こうしたACPについて、足立さんは懐疑的です。その契機となった事例として、高齢者施設に入所していた女性の話を挙げました。
具体的には、誤嚥性肺炎を繰り返すなど重度化していた女性の家族が「次回、肺炎を起こした際には入院を希望しない」と病院で意思表示していたが、その後に肺炎が発生した時、家族が迷った末に搬送を希望したところ、病院は前の意思表示を理由に受け入れを拒否したといいます。この一件を振り返り、足立さんは「書面になると医療者の認識は固定的になる」と語りました。
さらに、厚生労働省から委託された神戸大学のパンフレットでも「万が一の時」「もしもの時」といった終末期を意識したことが書かれており、「家族や友人の心の負担が軽くなる」としており、イギリスの定義で言う「自発的なプロセス」とは異なる説明になっています。
これらの点を踏まえ、足立さんは「今起きていない未来のネガティブな出来事を想像して考えをまとめることって、可能だろうか?」「考えをまとめるために必要な材料は足りているだろうか?」「医療者の役割はなんだろうか?」などの疑問を呈しました。
さらに、足立さんは行動経済学の考え方を用い、ACPの論点を抽出しました。行動経済学では「プロスペクト理論」という考え方があり、不確実な未来を意思決定する個人の行動を説明する際、「個人の意思決定は入手できる全ての情報ではなく、参照点からの変化に基づく」「個人は利得よりも損失の方に敏感である」と考えます。
こうした考え方を足立さんは患者の行動に当てはめ、「参照点」「評価軸」「治療行為による結果と確率」「結果から得られる価値」について、患者と医療者の間に必ずギャップが生まれるため、そのすり合わせが必要になると述べました。
もう一つ、足立さんが加えたのが生活の視点。「生活支援を抜きにした治療や延命は価値をもたらさない」「生活を支える上で医療の役割は限定的」と指摘し、▽医療とは無関係に「生きる」を考える点、▽生きる道具として医療を捉え、生活支援の視点を持つ点――が本来の意味のACPでは必要になると話しました。
これらの点を踏まえると、ACPには大変な手間暇が掛かることになりますが、足立さんは「患者―医療者双方にとって難易度が高くて面倒なこと」「患者―医療者の日常的な関係性抜きに有り得ない」などと指摘。生活を支える能力を持つ総合診療医が少ない中で、こうした「面倒なこと」が可能なのか疑問を呈しました。
さらに、足立さんは人の死には割り切れない部分が必ず残るとし、「首尾一貫しない自分を認める」「結論を急がない」という2点が重要と問題提起しました。
その後、意見交換や質疑に移り、参加者から「医療職との関係性が作れない中で、どうやって市民はコミュニケーションを取ればいいのか」「家族にも言えないことがある場合、どうするのか」「ACPを機に『どういう形で死ぬか』を公に議論できるようになった点は良かったのでは」といった質問や意見が寄せられました。
これに対し、足立さんは「患者の日常生活に医療が組み込まれていないと、コミュニケーションは無理。生活背景を含めて分かる医師がどこまでいるのか」「ACPが最終局面で医療職が迷わないにする、あるいは治療行為しないようにするための言い訳に使われかねない。書面で作ると変更・撤回可能であることを患者や市民が念押しする必要がある。ACPと事前指示書を混同している医療職が多い」などと答えました。
さらに、患者―医療職のコミュニケーションとして、短い時間で診察や検査が終わる病院と比べると、在宅医療は時間を取りやすい点が話題となり、足立さんは「初診に1~2時間掛ける」と紹介。別の医療職も参加者の立場として、「外来で1時間も取るのは無理なので、長くなる場合、看護師が対応したり、改めて話を聞いたりしている」「医師がトップという考え方を取らず、多職種のチームで患者と話しやすい人を決め、その人を経由して対話する」と補足しました。
しかし、コミュニケーションが取れないのは医療職だけの責任ではないとして、「患者が自分のことを言えないのは患者サイドの問題ではないか。時間の長さの問題ではない」「地域の人達とACPを話し合っている。上(=政府、専門職の学会)の方だけで議論していることに違和感がある」と話す参加者もいました。
診療報酬上の評価も話題になり、参加者から「本来は生活の死が医療化したのではないか」という議論が出たほか、「話せる環境や機会がどこにもないのに、年を取った時だけに対話を求められても、難しいのではないか」「医療に支配される中で、専門職達の利益に誘導されかねない」といった懸念も出ていました。
参加者は32人(事務局を含む)。キャンセル待ちの申込者が相次いだため、予定の人数を大幅に上回る参加者となり、お借りした認知症カフェ「ラミヨ」は熱気に覆われていました。(文責/三原)

マイケアカフェ2019 冬

日時:2019年2月4日(月)19:00~21:00
場所:ラミヨ(目黒区五本木1-5-11)
テーマ:「~性同一性障害~自分らしく生きる 」
スピーカー:齋喜逸江さん(介護職員、性別違和当事者)

2019年最初のマイケアカフェのテーマは性的マイノリティー。当事者の齋喜逸江(さいき・ときえ)さんをゲストにお招きし、「自分らしく生きること」をテーマに、齋喜さんと参加者が話し合いました。
現在32歳の齋喜さんは2013年2月に性別違和(性同一性障害)の診断を、2017年2月に性別適合手術をそれぞれ受け、戸籍も女性から男性に転換。現在は女性と結婚し、埼玉県内の介護施設で働かれています。
齋喜さんによる説明では、▽性的マイノリティーにはL(レズビアン)、G(ゲイ)、B(バイセクシュアル)、T(トランスジェンダー)、Q(クエスチョニング)に分かれており、個別性が大きい、▽性的マイノリティーは全体の8.9%という調査結果がある、▽中学生の時、制服のスカートを履くのがイヤだった、▽無理に型に入れなくてもいい。みんな違って当たり前。社会の一人ひとりが違うから面白い――などと話してくれました。
その後、参加者との意見交換に。参加者が齋喜さんの考えや体験などを尋ねると、齋喜さんは「カミングアウトした瞬間、父親、母親とは感情的なやり取りがあり、理解してもらうのに時間が掛かった」「(注:手術を受ける前に)女性用トイレに入ると、ジロジロと見られるのが嫌だった」「将来は精子バンクの精子を活用し、子どもを持ちたい」「性同一性障害の生徒が登場するドラマを見て、性別違和に気付いた」などと話してくれました。
参加者からも「告白された親による親を支援するNPOが地元で設立されている」「伝統的な価値観を重視する人達の理解を含め、どうやって社会に浸透させるかが課題」などの意見や情報が披露されました。
参加者は13人(事務局を含む)。人数は少なかったですが、参加者手作りの「林檎の焼き菓子 金柑とカカオの甘煮添え」に舌鼓を打ちつつ、齋喜さんを交えて濃い議論が展開されました。(文責/三原)

マイケアカフェ2018 春

日時:2018年4月27日(金)19:00~21:00
場所:荻窪家族レジデンス(東京都杉並区)
テーマ:「障害者の65歳の壁〜自立ってなに?」
スピーカー:秋山啓子さん(歌人、株式会社ワークウィル代表取締役)、繁田由紀さん(ワークウィルサービス提供責任者)

 4カ月ぶりのマイケアカフェは障害者総合支援法と介護保険法の「壁」をテーマに話し合いました。障害者の暮らしを支援する障害者総合支援法では、65歳以上になると、介護保険サービスを優先する規定があり、障害者の生活が影響を受けると言われています。そこで、マイケアカフェ春では2人のゲストをお招きし、参加者とともに「壁」の実情、背景としての「自立」を巡る考え方の違い、市民として考えたいことなどを話し合いました。
 ゲストの秋山さんは思春期から読書に明け暮れ、詩や短歌、エッセイなどを口述筆記で書き同人誌や新聞に発表するようになり、 33歳の時に「自分の人生は自分の手で」という思いで家を飛び出し、自立生活のスタートを切った。さらに、現在の夫と1982年6月に結婚。1985年に一児を授かり、家族やヘルパー、近所の人など多くの人々の手足を借りつつ家庭の主婦として、そして母として生き、子どもも育てました。
 その後、2006年7月に自分のための重度訪問介護事業所「ワークウィル」を発足させ、当初から一貫して介助体制の人選と配分を自ら行っています。
 もう1人のゲスト繁田さんは秋山さんの「相棒」的な存在。秋山さんの介助者として4年ほど関わった後、特別支援学校教員などを経て、秋山氏の介助に復帰し、介護事業所の立ち上げや自治体との交渉などに当たっています。
 会合では、秋山さんの文章を代読する形で、繁田さんが「壁」問題を説明しました。秋山さんは繁田さんの口を介して、「多くの人々の手足を借りての主婦業」に当たる事例や日々の生活として、以下のように説明してくれました。
▽自分の考えた献立や味付けなど、私の指示通りにヘルパーさんに動いてもらい料理する。
▽掃除や洗濯といった家事一般も私の意思を通して行う。
▽ヘルパーの手助けを得つつ、隣近所の数世帯で始めた共同保育では、他の親子は自転車で、私は電動車椅子に娘を膝に乗っけて走り、あちらこちらの公園で遊んだほか、それぞれの家に弁当を持ち込み、おしゃべりと食事を楽しんだ。
▽毎日のように買い物や散歩に出る、▽機会あるごとに映画やコンサートなどのイベントに出掛ける。
▽当たり前のように家族や親戚、友人の冠婚葬祭に列席する。
さらに、秋山さんは歌人としても活動しており、「手の利かない私は口述筆記で書いていますから、この不自由な言葉を聞き取ることを長年の付き合いから聞き取り慣れている方でなければできない」と語りました。
しかし、これらの支援は介護保険で原則として認められません。そして秋山さんは65歳を迎えた時、地元の市役所から介護保険移行を迫られました。そこで秋山さんは6年近く重度訪問介護の継続を市役所と交渉しており、未だに決着していません。
秋山さんは介護保険に移行した後の生活について、「何々はしてはいけないとか、また時間がぶつ切りにされ、息をしているだけでいいという日々となることは目に見えています」と予想した上で、「お仕着せの社会参加ではなく、一人一人の個性に合った生き方をしたい。そういう地域、社会であったならどんなにいいでしょう。人間である以上は死の瞬間まで周囲の人々との関係性、助けによって地域の一員として活動するのは当たり前ではありませんか」と疑問を投げ掛けました。
その後、繁田さんも介護保険を使っている義父の介護に関する自らの経験と対比させる形で、「壁」の実情を明らかにしてくれました。
まず、繁田さんが不思議に思ったのは介護保険の制約。例えば、障害者総合支援法に比べると、介護保険は生活援助の守備範囲が狭く、ヘルパーから「換気扇のフードが埃をかぶっていますが、私はできないので、ご家族が掃除して下さい」と言われたそうです。
 これを聞いた繁田さんは最初、「ヘルパーの背が低いので、高い所は怖くて掃除できない」という意味と思ったらしく、「脚立はここにあります」と返事すると、ヘルパーは憮然として「私達はそういう掃除はやらないことになっているんです」と答えたとのこと。
さらに、義父がヘルパーに「お任せモード」になっているので、残存能力が失われているのではないかと感じた繁田さんがヘルパーに対し、「お米研ぎをお願いするとか、一緒にお料理することはできないでしょうか?」と尋ねると、「それは身体介護になるので、介護保険の利用料が上がります」という答えが返って来たそうです。
 こうした出来事は「柔軟な介助に慣れていた私にとっては、意地悪としか思えない決まり事、それジョークですか?!と思う理不尽な対応」に映ったらしく、繁田さんは表1・表2を説明しつつ、「障害者介助と高齢者介護のとてつもなく大きな溝」と説明してくれました。
 さらに、重度訪問介護の支援を受けつつ暮らしている「秋山さんの一日」もご紹介いただき、繁田さんは「家事や移動手段に多少人の手が必要であることを除いたら、何一つ私達の日常と変わりのない」「自己実現というと何か壮大な計画や夢を実現することのように思われがちですが、秋山さんのように、そして多くの障害のある方たちや高齢者がそうであるように、淡々とした日常の中に自己実現があるのだとしたら、その日常の営みを大切にすることが支援の役割なのではないか」「生活の中の小さなこだわりや喜びは、失って初めて、それが自分らしさを支えていたものであったことに、私達は気付くのかもしれません」と述べました。
 さらに、こうした「壁」が生まれる背景として、2人が口を揃えて指摘したのが「自立」の概念の違い。
 秋山さんによると、障害者福祉での「自立」とは、重度の障害があっても他人の手足を借りながら学校へ通い、地域で普通に家庭生活を営むという意味。これに対し、介護保険の「自立」とは「自分の手足を使って何事もやるべきだ、その手足が利かなくなったら寝たきりの生活を送るのは当たり前」と考えているのではないか、と話しました。
 さらに、繁田さんも「介護保険の自立は『人の手を借りずに生きる』という意味に限定されている」「障害者支援の世界では、助けを得ることで護られる依存的な状態ではなく、助けを得ながら自分の生き方を自己決定する状態を作ることが自立であると見なされる」と述べました。
 この後、参加者との意見交換タイムに移りました。この日は秋山さん以外に3人の障害当事者の方も参加しており、「『調べといた方が良いよ』と周囲から助言を受けて参加した」「介護保険の移行を求められた時は気を付けたい」といった声が出ました。
 さらに、ヘルパーの支援を受けつつ秋山さんが暮らしている「自立生活」の実情、秋山さんが3人の弁護士を交えて自治体とやり取りしている様子、その際の「秘訣」が話題に上ったほか、専ら介護保険の「自立」が予防を意味するようになったことへの違和感なども議論されていました。
 このほか、「介護保険優先の原則」を定めた障害者総合支援法の条文、「65歳で自動的に重度訪問介護を打ち切った岡山市の判断は違法」とする今年3月の岡山地裁の判決(岡山市は控訴中)なども話題になり、秋山さんと繁田さん、参加者で「自立とは何か」を話し合いました。
 参加者は計26人(事務局を含む)。今回は会員が建設した多世代マンションの会議室をお借りしたのですが、質問や意見が絶えず、そして時に笑いも交えつつ、「自立とは何か」を考える良い会合となりました。(文責/三原)

マイケアカフェ2017 冬

日時:2017年12月13日(水)19:00~21:00
場所:ラミヨ(東京都目黒区)
テーマ:「納得できる選択のための医療者との付き合い方」
スピーカー:鈴木信行さん(患医ネット代表)

12/13は夕方から目黒区祐天寺に。自発的なケアプラン作成を目指す市民組織「全国マイケアプラン・ネットワーク」の勉強会兼交流会(通称、マイケアカフェ)でした。今回のゲストは、あの!根津の某喫茶店前オーナーの鈴木信行さん(通称、信さん)。信さんは根津の某喫茶店は様々なコミュニティ活動に使われ、マイケアとしても、個人的にもイベントで何度か会場を貸して頂きましたが、先月から患医ねっとの活動に力点を移しています。

冒頭、信さんは「医師主導の『患者中心の医療』ではなく、患者が医療職と一緒になって頑張る『患者協働の医療』が重要」と持論を述べ、患者自らが「●●を大事にして治療を進めて欲しいです」と主張する必要性を強調しました。

その上で、患者が医療職とコミュニケーションを取る手段として、お薬手帳を挙げました。特に、お薬手帳には薬の情報だけでなく、患者も自らの希望や生活情報を載せられるコーナーが設けられているとし、自らの患者経験を披露しつつ、その重要性を解説してくれました。

さらに、信さんは「(自分の)希望は文字にしないと伝わらない」と語り、お薬手帳の具体的な活用術として、以下のステップを挙げました。

<ステップ1>薬剤師と一緒にもっと使おう。「自分も書き込んでみよう」
・薬局に来る前、自宅に残っている薬の数を数えて書き込もう。
・薬剤師に書き込んできたことを伝えよう。
・薬が残る理由を正直に話してみよう。

<ステップ2>医師も一緒に使っていこう。「医師にも見せてみよう」
・残薬分を減らして処方箋を書いてもらおう
・薬剤師の要らない・減らしてよいという提案を医師へ伝えてみよう。
・通院する日の朝、病院の待ち時間で、薬の飲みにくさや感想、理由を書いてみよう。

<ステップ3>あなたのオリジナル手帳を作ろう。「考えや質問などを共有しよう」
・聞きたいことを箇条書きに書き出そう。
・医師・薬剤師の説明をその場でメモしよう。
・医師の説明を薬剤師に、薬剤師の説明を医師に、メモを見せながら話そう。
・日ごろの気づきや感想をメモして見せよう。

その後、参加者との意見交換となり、「医師や薬剤師の付き合い方を変えたいが、どうしたら良いか」「医師と薬剤師の役割を分ける医薬分業は意味があったのか」「薬局の差別化は難しいのではないか」「小さい薬局の方が付き合いやすいのでは」「薬を飲めていないことを医師や薬剤師に言いにくい。どうしたらいいか」といった質問が出ました。

これに対し、信さんは時々、製薬業界や薬剤師業界の内幕なども話しつつ、「薬を飲めていないのであれば、きちんと薬剤師に言うべき」「副作用が起きているかどうか分かるのは自分だけ。お薬手帳に自分が書かないと医療職には分からない」「薬局はPRが足りない。がんに強い薬剤師とか、もっと差別化は可能ではないか」などと応じていました。

参加者は14人(事務局を含む)。今回は少人数でしたが、信さんが時々、「医師ってどんな人」「薬剤師ってどんな人」「お薬手帳を持っている人」などと参加者に質問してくれたこともあり、参加者は医師や薬剤師と接した経験を次々と紹介したほか、「三食を食べるわけじゃないので、食生活や生活習慣を伝えた方が良いことに気付いた」と感想を披露する参加者もいました。

さらに、かかりつけ薬剤師や健康サポート薬局など近年の制度改正も話題になり、会合終了後は参加者同士で話し合うなど、シチューなどの料理に舌鼓を打ちつつ、議論は双方向で盛り上がっていました。(文責 三原)

マイケアカフェ2017 夏

日時:2017年7月18日(火)19:00~21:00
場所:ラミヨ(東京都目黒区)
テーマ:「韓国の介護保険制度と日本の介護保険制度」
スピーカー:黄銀智さん

今回の話題は韓国の介護保険。韓国は2008年4月から介護保険制度に当たる「老人長期療養保険」を創設しており、日本に留学している黄さんが要介護認定の仕組みや財政構造、制度創設の経緯などを堪能な日本語で丁寧に説明してくれました。

説明によると、要介護認定は日本と近いですが、以下の点が異なります。
(1)日本では保険制度の運営を市町村が担っているが、韓国では国民健康保険公団に一元化されている。
(2)日本では被保険者を40歳以上で区切っているが、韓国では20歳以上の全国民を被保険者としている。
(3)韓国では日本のケアマネジャーに相当する職種がなく、公団の公務員が標準的な利用計画書を作成し、これを参考にしつつ事業者と利用者が契約している。
(4)日本では「介護の社会化」に反するとして家族介護を給付対象に認めなかったが、韓国では要件をクリアした家族の介護を保険給付と部分的に認めている。
(5)訪問や通所、施設などサービスのラインアップは殆ど同じだが、サービス体系が日本よりも簡素。
(6)日本の場合、65歳以上の要介護認定率は17%だが、韓国は約7%と低い。―などが異なり、参加者から質問や意見が出ました。

参加者との意見交換では、韓国を視察したジャーナリストが「敬老堂」という施設を説明。これは高齢者や住民が集う場所として、一定規模以上の団地などに設置が義務付けられており、「日本よりも地域社会のつながりが残っている印象を受けた」などと話しました。

その後、家族介護を給付対象として認めている「家族療養保護士」について、参加者から「日本では『介護の社会化』に反するとして認めなかったが、韓国ではどうだったのか」「介護現場の人手不足を解決する手段として日本でも必要なのでは」といった意見が出たのに対し、黄さんは「日本に比べると家族のつながりが今も強いので、実態と合わせると同時に、療養保護士の資格を取った家族のサービスをプロ同様のサービスとして認め、教育・支援する意味合いもある」などと答えていました。

韓国の制度がケアマネジャーを採用していない点も話題になり、黄さんが「事業者の営業活動が活発で、利用者が直接やり取りしている」と説明。それに対し、参加者からはケアマネジャー不要論に加えて、費用が増える可能性などが話題に上っていました。

被保険者の対象範囲が異なる点も話題になり、黄さんは「1人当たり保険料が530円~650円(2015年基準)と安いので、国民の反対意見は少ない」「韓国は小さく制度を作り、認知症対策などで制度を大きくしている」などと説明してくれました。

参加者は18人(事務局を含む)。会場となった「ラミヨ」では終了予定時刻を超えて参加者が議論や質問、意見交換を続けるなど大いに盛り上がっていました。(文責:三原)

マイケアカフェ2017 春

日時:2017年5月27日(土)18:00~19:30
場所:BOOK LAB TOKYO
テーマ:「認知症になってもだいじょうぶ! そんな社会を創っていこうよ」
スピーカー:藤田和子さん(日本認知症ワーキンググループ共同代表・NPO若年性認知症問題にとりくむ会「クローバー」副理事長)。


 鳥取県にお住まいの藤田さんは認知症の義母を介護した後、看護師として働いていた2007年、アルツハイマー病と診断されました。

 「認知症」と聞くと、「高齢者の病気」「何も分からなくなる」と受け止められがちですが、藤田さんのような若い人も含めて誰にでも起こり得る出来事です。藤田さんは認知症に関する広報活動などを通じて、認知症の人だけでなく誰でも住みやすい社会をつくるための活動を展開しており、今年4月に『認知症になってもだいじょうぶ!そんな社会を創っていこうよ』(徳間書店)を刊行しました。

 会合では、藤田さんと代表の島村、本の企画に携わった株式会社メディア・プラスの松嶋薫さんの3人を囲む形で、藤田さんに本を刊行した思いや認知症当事者として感じていることなどを話してもらいました。


藤田さんによると、「認知症になっても~」というタイトルに思いが込められているとのこと。藤田さんは「認知症が正しく理解されていない」と述べた後、「認知症には様々な状態・病気があるのに、診断を受けた2007年当時はオーストラリアのクリスティーン・ブライデンさんを除くと、プラスの情報が出ていなかった。今は日本でも、認知症になっても自分らしく生きる人がいて声を上げ始めている。そうした人たちの声を聴き、「認知症になっても自分らしく生きられるんだと知ることができれば、諦めずに済む。これから認知症になるかもしれない人には希望の光になる」と話しました。

 さらに、藤田さんは「元の状態に戻れとか、良くしようと言われてもつらい。忘れないようにと言われても忘れちゃうし、忘れたくて忘れるわけじゃない」「夫だろうが、息子だろうが、悪気がなくても『何で分からないんだ』というように言われると、その人にとっては単なる恐ろしい人になってしまう」と発言。その上で、自分を理解してくれる家族や周囲と一緒に考えて、カレンダーに日程を記入することで忘れても良いように工夫したりしつつ、日常を暮していることを紹介してくれました。


参加者との質疑応答では、「どこまで覚えているのか。認知症で苦労することは何か」との質問に対し、藤田さんは「調子が良い時と悪い時があるので、凄く複雑。でも、きっかけがあれば(記憶から)話を引き出せる。(認知症に関する世間の)情報は全てうそじゃないけど、全てが正しいわけではない」「認知症=介護問題ではなく、認知症になった後に暮らしをどうするかが問題。例えば『自分が大切に思っている仕事を続けたい』と思った時、交通手段をどうするか、周囲の理解をどうするかが重要。介護の問題は先なので、(初期段階から介護までの)その間をどうするか大事」と答えていました。

 さらに、アルツハイマーを自覚した経緯に関する質問では、藤田さんは「本が読めなくなった」「食後のデザートを食べたことを覚えていなかった」などの出来事を紹介。バイタリティーを維持できている秘訣については、「認知症になっても希望と尊厳を持って生きられる社会を目指して行動している。だから(脳が)活性化しているのかも」「それぞれが大好きなことを何としてでもやる(という思いを持つ)。そう思えるように周囲が一緒に動いてくれる。ただ、簡単に行動できるわけではなく、自分でも激しい脳の疲労と闘いながら大変な努力をしている。それをわかった上で一緒に動いてくれる人がいないとできない。1人じゃ絶対に無理」「初期から適切に診断され、早い段階から自分が何でそうなっているか的確に理解することが大事」と話していました。

 今回の会場は渋谷区の「BOOK LAB TOKYO」。飲食を楽しみつつ、本を読めるオシャレな空間で、参加者32人(事務局を含む)が熱心に藤田さんの話に耳を傾けていました。(文責 三原)

マイケアカフェ2016 冬 2

日時:2016年12月5日(月)19:00~21:00
場所:ラミヨ(目黒区)
テーマ:「混合介護の規制緩和って、どういうこと?」
スピーカー:柳本文貴さん(NPO法人グレースケア機構代表)


「混合介護って何?」。政府では今、介護保険サービスと制度外サービスを組み合わせる「混合介護」が盛んに言われていますが、今回のマイケアカフェは市民の立場で議論しました。

冒頭、会員の浅川澄一さん(福祉ジャーナリスト、元日本経済新聞社編集委員)が「序論」として、混合介護が言われ始めた経緯や内容を説明しました。今でも混合介護は認められているが、具体的には、ヘルパーが要介護者だけでなく家族の食事もまとめて作るようなことはできない制度設計になっている。こうした規制を公正取引委員会は廃止するよう求めており、浅川さんが「選択肢を広げる観点で進めるべきではないか」と問題提起しました。

さらに、メインゲストとしてNPO法人「グレースケア機構」代表の柳本文貴さんが登場。グレースケアは東京都三鷹市を拠点に、制度外のケアサービスを中心に介護保険制度内、障害者支援等様々な介護サービスを提供しており、制度と制度外を組み合わせたケアプランやケアの実例、利用者が自費でヘルパーを選べる「ヘルパー指名制」などを紹介しつつ、「現行制度でもやれることはある」「自費サービスの認知が広がるかもしれないが、却って規制が強化されるのではないか。ヘルパーには時間短縮を通じて労働強化が進む」と指摘。混合介護の規制緩和を進めるのであれば、障害者総合支援法と介護保険制度、保育制度の垣根を低くすることが必要と述べました。

その後の意見交換では、「制度と制度の間で線引きがが発生するのは止むを得ない。混合介護を進めるのであれば介護保険サービスを使わないと報酬を貰えないケアマネジャーの報酬を見直すべきだ」「簡単に生活を制度で切れない。実質的に同じ時間でもやっていたが、何を変えるのか」「却って制度が複雑になって分かりにくくなるのではないか」「混合介護を広げる議論は制度サービスの縮小が前提になっているのではないか」「事業者の立場だと自費の場合、保険よりも安くなる。混合介護では事業者にとっては損になる」「2割負担の人は自費を使いたがらない事情がある」「制度外サービスも選べるように情報を入手できる仕組みが必要ではないか」「こんなに騒ぎ立てなくても、『保険外サービスと保険内サービスを明確に区分せよ』という土台無理な一文を取って、ざっくりとした支援を認めればいいのではないか」
などの意見が出ていました。

参加者は一般市民、介護家族、ケアマネジャー、ヘルパー、リハビリ職、介護事業経営者、地方議員、フリージャーナリストなど25人(事務局を含む)。会場を使わせて頂いたラミヨはほぼ満員となり、豚汁を堪能しつつ熱い議論が交わされていました。(文責 三原)

マイケアカフェ2016 春

日時:2016年4月11日(月)19:00~21:00
場所:ラミヨ(目黒区)
テーマ:新しい総合事業の実際
ゲスト:浅川澄一さん(福祉ジャーナリスト、日本経済新聞社編集委員)

「新しい総合支援事業がわからん!」。今回のマイケアカフェは、そんな思いから開かれました。

新しい総合支援事業は要支援向け介護給付のうち、訪問介護と通所介護を介護予防事業に移管する内容で、「A:緩和した基準によるサービス」「B:NPO、ボランティアなど住民主体によるサービス」「C:短期集中予防サービス」などに分かれています。

この複雑怪奇な仕組みについて、スピーカーの浅川さんが制度改正の概要とともに、「制度改正は安上がりの介護に済ませるのが目的」と説明。さらに、「神奈川県秦野市では自主的に活動している団体、組織を新しい総合支援事業に繋ごうとしている。担当者が現場をキメ細かく訪ねている」などと、各地の取り組みを紹介しました。

しかし、全体的な傾向として、浅川さんは「サービスBを実施している自治体は少ない。NPO、市民団体に対する不信感が根強く、手っ取り早く社会福祉協議会を使っている自治体もある」と批判。

その上で、「B型サービスはコミュニティカフェ、地域サロンが担い手になれる。市民、NPO、ボランティア団体が主導権を取らないといけない」と話しました。

さらに、参入方法として、「一般介護予防で参入し、高齢者の居場所を作った後、B型通所サービスを始め、自宅を訪ねるB型訪問サービスに参入するのが良いと思う」と話しました。

その後の意見交換では、参加者が東京都世田谷区、練馬区、多摩市、京都市の現状を話しました。特に多摩市の方は要支援認定を受けており、新しい総合事業の対象になるため、市役所とのやり取りを披露しつつ、「10年以上もケアプランを自己作成しているのに、制度改正でできなくなった。介護保険の財政が厳しいので、安上がりにする目的は理解できるが、それだったら今まで不要だったケアプラン作成費が何で必要になるのか」などと話していました。

参加者は25人(事務局を含む)。「官が勝つか、民が勝つか。関ヶ原合戦だ」などとジャーナリスト魂あふれる浅川さんの発言内容に対し、参加者から「刺激的な内容だった」「何か胡散臭い仕組みだ」との感想が漏れ、時間を超過して活発な議論が続きました。
文責 /三原

マイケアカフェ2016 冬

日時:2016年2月6日(土)19:00~21:00
場所:みのりCafe(文京区)
テーマ:破綻からの奇蹟〜いま夕張市民から学ぶこと〜
ゲスト:森田洋之さん(南日本ヘルスリサーチラボ代表・鹿児島医療介護塾 まちづくり部長)

今回のゲストは鹿児島県から来られた森田洋之さん。森田さんは財政破綻した北海道夕張市の市立診療所長として勤務し、地域医療に従事しました。現在は鹿児島県で研究・執筆を中心に活動されています。

会合では、森田さんが夕張市の現状を説明。夕張市は2007年に財政破綻し、病床数は10分の1に減ったのですが、森田さんによると、住民に目立った健康被害は見られず、むしろ老衰、自宅での死亡など医療に頼らない亡くなり方が増えたと言います。

この経験を基に、森田さんは「病院がなくても幸せに暮らせる秘訣」として、①きずな貯金、②市民の意識改革、③生活を支える医療―の3つを指摘していました。

このうち、①は俗に「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」と呼ばれる人々の繋がり、②は予防医療に力を入れたり、天命を受け入れたりする住民の意識変化、③は在宅医療や多職種連携などを指します。

森田さんは「(3つが整えば)健康で楽しい人生をなるべく長く、子供たちの財産を食い潰さずに済む」と強調していました。

その後の意見交換では、参加者から「市民の意識を変えるには何が必要か?」「夕張市に住む人達の生活や意識はどう変わったのか?」「医療・介護職員の意識はどう変わったのか?」「薬剤師や薬局の位置付けはどうなっているのか?」などと質問。

これに対し、森田さんは夕張市の現状を説明するともに、「きずな貯金が増えれば医療・介護費用は抑えられる」「地域で活躍する薬剤師の役割は重要」と持論を披露していました。

参加者は19人(事務局を含む)、キャンセル待ちが15人という人気ぶり。会合が終わった後も名刺交換や議論が長く続き、参加者にとっては今後の医療・介護制度を考える良い機会になったと思います。
(文責/三原)

マイケアカフェ2015 初秋

日時:2015年8月31日(月)19:00~21:00
場所:ラミヨ(目黒区)
テーマ:2015年改正の中核・新総合事業ってどんなもの?
ゲスト:服部真治さん(厚生労働省老健局総務課介護保険計画課・振興課併任課長補佐)

今回のテーマは改正介護保険法に盛り込まれた「新しい総合事業」。これは要支援者の通所介護、訪問介護を介護給付から外し、現在の介護予防事業を大幅に改組する仕組みで、2017年3月までに全市町村が移行します。

冒頭、服部さんが法改正の概要を説明。服部さんによると、「国は地域包括ケアを進めているが、日々の暮らしは介護保険だけで支えられない。生活支援・介護予防が重要であり、みんなが元気でいられるシステムが必要」としつつも、介護と介護予防の関係が弱い点や担い手不足が課題と指摘。その上で、「専門職は専門的な介護に専念してもらうとともに、地域住民がみんなで気遣ったり、支え合ったりすることが重要。こうしたシステムを10年かけて作りたい」と述べました。

参加者との質疑応答では、自分の市町村がいつ移行するのか情報交換しつつ、「地域資源をコーディネートする人材確保は考えているのか」「データの開示は重要。市民にデータをもっと公表すべきだ」「住民の助け合いによる新制度のデイサービス(通所型サービスB)を増やせるかどうかがカギ。しかし、自治体にやる気を感じられない。『自治体の責任』と言って国は逃げているのでは」などの意見が出ました。

これに対し、服部さんは神奈川県平塚市、大阪府大東市など地域の先進事例を紹介しつつ、「(ネットワーク形成、地域資源の開発を目的とした)生活支援コーディネーターを配置する予定であり、これを養成する新しい事業を始めた」「市民にデータを理解して頂くことは重要」「市町村は今、生活支援コーディネーターの養成に専念している。逃げているわけではないと思う」と丁寧に答えていました。

さらに、参加者からは「安上がりなサービスになるという懸念が出ているが、次の世代に借金を残さないため、むしろ安上がりを目的としたサービスが必要なのでは」「地域で長年、やってきたボランティア活動はどうなるのか」「ボトムアップで意見を聞きながら制度設計すべきだ」「制度名が分かりにくく、高齢者や利用者目線になっていない」「本来、介護保険の財源を使うべき施策なのか」「既に自然発生的な助け合いの取り組みがあるのに、わざわざ制度にするのか。地域でじわじわと作っていくべきではないか」などの厳しい意見も出ました。

こうした意見に対しても、服部さんは地域の先進事例などを引き合いに出しつつ、今回の制度改正の重要性を説明した後、「今は『介護保険を使わなければ損する』という雰囲気があるが、今回の新しい事業を市町村や住民の皆さんが使いこなすような機運づくりに努めたい」と述べていました。

参加者は26人(事務局を含む)。ラミヨの椅子を全て使い切るほど満員でした。服部さんの熱心な解説にもかかわらず、終了後も首を傾げている参加者が散見されましたが、市民が役所の担当者から直接お話を聞き、意見交換できたのは貴重な機会。市民参加の足掛かりにしたいと思います(文責/三原)。

マイケアカフェ2015 初夏

日時:2015年6月2日(火)19:00~21:00
場所:ラミヨ(目黒区)
テーマ:自己作成支援ソフト『とき6.0』バージョンアップ秘話~複雑怪奇な介護保険の計算も一発!~
ゲスト:山内昇さん(『自己作成支援ソフト とき』制作者)

今回の話題はマイケアの誇る表計算ソフト「自己作成支援ソフト とき」と、介護報酬の複雑化。

マイケアプラン・ネットワークではケアプランの自己作成を支援するため、表計算や書類作成を可能とする「自己作成支援ソフト とき」を2003年から無料で公開しており、3年に一度の改定にも対応しています。

一方、サービスに様々な加算減算措置が追加されることを通じて、介護報酬制度は年を経るごとに複雑化しています。

会合では、島村代表が「とき」をデモンストレーションしつつ、加算減算措置の追加を通じて、報酬制度が15年間で如何に複雑化したかを説明。

さらに、山内さんが「最初のうちは簡単な計算だけだったのに、最近は例外が増えて複雑化している。(家でたとえると)2階の上に3階を作り、さらにテラスハウスを建て増ししている感じで、普通の建物であれば消防法違反。このままでは将来的に4階建てになり、5階建てになる。こんなことをいつまでも放置するのか。もっと簡素にすべきではないか」と持論を述べました。

その後、参加者から「一般の人に理解できないぐらい複雑化していることが問題」「介護保険の財源は税金と保険料。今後、自己負担が増えることも予想される。それなのに利用者が計算できないのはおかしい」「利用者は加算が何のことだか分からない。『加算が必要』と言われると、利用者は是非を判断できない」との疑問や意見が出ました。

介護職員やケアマネジャーも「認知症加算のメリットを聞かれた時、説明できなかった。報酬が低くなった分、儲ける加算を探す結果、加算目当てになってしまう。しかし、これは利用者から見たら分からない」「どこの事業所がどんな加算を取っているか確認しないと分からない。一方で、報酬を早く請求しなければならない以上、個々の加算や計算をチェックできないので、最終的に合計額が合っているかどうかチェックするだけになっている」「国は『基本報酬を減らす代わりに加算を作った』と説明するが、実際は取得に必要な要件が厳しく、取得する手間暇が大きいので、取得率が低い加算もある。これは一種の『アリバイ加算』ではないか」などと現場の実情を紹介してくれました。

参加者は24人(事務局を含む)。真夏を思わせる天気の中、会場となったラミヨは熱気に包まれていました。写真は会場の様子、デモンストレーション中の「とき」。(文責/三原)

マイケアカフェ2014 冬 X'mas

日時:2014年12月19日(金)19:00~21:00
場所:ラミヨ(目黒区)
テーマ:道しるべ ~若年認知症本人の思い 家族の想い~
ゲスト:越智須美子さん (飛梅の会代表)

歓談しながら参加者が揃うのを待ち、まずは自己紹介。認知症家族会のかた、マスコミ関係、医療職、施設勤務など立場は様々で、初参加のかたも。(参加者はスタッフ併せて23名でした)

始めにドキュメント番組の映像をDVDで見て、若年認知症を発症した越智俊二さんと須美子さんの日常や介護の様子、国際会議で若年認知症当事者として初めて講演された当時のこと、病状の進行と暮らしの変化などを目の当たりにしました。

続いて、俊二さんが実際に使われていた原稿を、ラミヨ主宰者の竹内さんに読み上げていただきました。消えていく記憶・将来への不安、須美子さんへの感謝の言葉が印象的でした。

その後、越智須美子さんより若年認知症と向き合った日常と不安とのたたかい、それでも笑顔を忘れずにいたこと、家族間の真剣な話し合い、入所の際して感じた罪悪感、終末期の葛藤など、俊二さんが間質性肺炎等で亡くなるまでの16年に渡る介護の日々をお聞きしました。
(報告/須田)

マイケアカフェ2014 夏

日時:2014年6月30日(金)19:00~21:00
場所:ラミヨ(目黒区)
テーマ:「がん」になった時の自己決定
ゲスト:浅川 澄一 氏 (ジャーナリスト・元日本経済新聞編集委員)

今回のゲストは日本経済新聞編集委員で、ジャーナリストの浅川澄一さん。浅川さんは直腸にがんが見つかり、肝臓に転移していたとして、第4期の宣告を受けて今年2月4日に手術。現在は抗がん剤の治療に入っており、今回は闘病体験と、そこから学んだがん治療・病院の話を展開しました。

例えば、浅川さんは抗がん剤の副作用について、「親指の皮が剥けて親指に力が入らないため、シャツのボタンを付けられない」「ソースと醤油の区別が付かないなど味覚がなくなる」「冷たいジュースを飲むと、のどに痺れが出る」と紹介。

さらに、「がんの手術件数が多い病院は『いい病院』。拠点病院に集約した方が効率的」「認知症ケアとがん治療は似ている。認知症ケアについて、薬で精神疾患を抑えてダメだったら精神病院に送る医師と、介護職と組んで生活を支援する医師がいるのと同じで、がんも医師のレベルで医療の質の内容が変わる。当事者の身になって考える医師と、そうじゃない医師の違いがある」との私見を披露しました。

後半の質疑応答では、参加者から「拠点病院と言っても、遠くの医療機関にかかる時はどうすれば良いのか?」との質問が出て、浅川さんは「遠方から手術を受けに来る人もいるので、命には代えがたいという発想が多い」「手術を受けた病院では内科、外科、抗がんがチーム診療をやってくれたので良かったし、最寄りの病院に情報も送ってくれた。しかし、(総じて医療機関同士の連携は悪いので)『カルテや診療情報をくれ』と言って、こちらから連携を促すべきだ」と回答。

このほか、「病院の良し悪しを判断するデータで最も大事なのは生存率ではないか?」「インフォームド・コンセントはどうだったか?」という質問が出て、浅川さんは「ステージごとの生存率で見ることができるかもしれないが、今のシステムでは病院が情報を出さないので難しい」「説明は十分にあったが、抗がん剤を飲み薬と点滴のどちらにするかぐらいしか選択肢がなかった」と答えました。

最後に死生観に対する問いが出ると、浅川さんは「母親が亡くなるまで生き続けなければいけない」「(周囲に)余計な心配をかけたので、(がん検診を受けなかったことは)少し後悔している」としつつも、「人生でやりたいことはほとんどやり切った。死生観が大きく変わったことはない」と発言した上で、「身体機能が低下してコミュニケーションが取れないなどの状況になった時、長生きしても面白いのかと思う。できれば自分で死ぬ時期を決めたい」との持論で締め括りました。

参加者は24人(スタッフ含む)で、会場となった「ラミヨ」は今回もほぼ満員に。ジャーナリスト魂にあふれた浅川さんの発言に対し、参加者から異論も出て議論は大いに盛り上がりました。(報告/三原)

マイケアカフェ2014 晩春

日時:2014年5月30日(金)19:00~21:00
場所:ラミヨ(目黒区)
テーマ:介護保険制度の原点に戻ろう
ゲスト:堤 修三 氏 (元厚生労働省老健局長)

今回のゲストは厚生省/厚生労働省の老人保健福祉局企画課長、老健局長などを歴任した堤修三さん。自他ともに認める「介護保険の産婆役」になった方です。

介護保険は2015年度に大改正を控えています。この時期だからこそ、制度創設時の理念や考え方、経緯などを堤さんから伺い、市民として制度の将来像を考える場を設けました。

冒頭、堤さんは「今の介護保険はヘンチクリンな姿になった。今日話すのは老兵の意見」と前置きしつつ、介護保険の意義として「市民が自らの要介護リスクに備えて保険料を拠出(=自助)し、共同社会を構成する他のメンバーのためにもなる」と説明。その延長線に利用者本位、自己決定、自立支援が位置付けられるべきであり、ケアプランの自己作成については、「自立支援の視点で行われ、利用者本位・利用者選択が徹底されるのであれば望ましい」と話しました。

その一方で、自己作成が当初、想定されていなかったことも話題になりました。

堤さんによると、制度案を自民党に説明した際、党内の医療系議員から「ケアマネジャーが全て取り仕切るのは如何なものか」という議論が出たため、「(制度を説明する絵の)ケアマネジャーの役割を小さくした」とのこと。結果論ですが、この時の経緯と判断が自己作成の道を開いたことになります。

さらに、ケアマネジメントやケアプランの作成を市町村の事務ではなく保険給付の対象とした点に関しては「市町村の事務にしたら担当者がコロコロと代わり、ケアマネジメントが伸びないという判断があった」と発言。

要介護認定により支給限度額を設け、限度額内でケアプランを立てるケアマネジメントと給付管理をする専門職として、ケアマネジャーに大きな期待を寄せていたとのことでした。

制度創設時に「地方分権の先駆け」と喧伝されていたことについては、「要介護認定は国の基準で、市町村が自由に決められない。『地方分権は試金石』とは嘘っぽい表現。(制度以外の)白地は市町村のアイデアが出て来る余地があったが、その後の改定で(国が白地を)埋めてしまった」と指摘した上で、「法律を改正したくなるのが役人の性。しかし、法律を改正すると変な条文ばっかり増えるので、(自治体や現場の負担増を考えると国は)制度改正を抑え気味にやるべきだ。今みたいに3年に1度改正する必要はない。こんなに頻繁に改定していては、自治体も事業者もそれを追うことばかりに躍起になる。やっとわかったと思ったら次の改正がやってくる。これでは地域や現場のことを考える暇がない」と語りました。

説明の最後に堤さんは「住民は地域のサービスや保険料の水準を目の届く所で判断しやすい。民主主義が機能しやすいように箱庭化しているのが介護保険だ」と述べ、生活に最も身近なケアの負担と給付の関係性を分かりやすくしている点で、介護保険が市民による自治を想定していることを強調しました。

そして、市民(被保険者・利用者)が制度運営へ積極的に参画することが求められる。国の審議会、自治体の介護保険事業計画委員会の委員の少なくとも1/2は市民代表にすべきで、その市民の構成は、半分は本人あるいは身近な人が介護保険を利用している人、半分は保険料負担をしているが利用していない人にすべきだと結びました。

その後、参加者との意見交換では「制度を作った際、ケアマネジャーによる作成だけを想定し、自己作成を考えなかったのではないか? だから自己作成を周知しなかったのではないか?」「市民の力を信じていなかったのではないか」「穏やかに死を迎えたい段階の人にまで自立支援というのはおかしいのではないか」「介護保険サービスでガーデニングをやっていたが、ある時に『屋外はダメ』と言われた。その根拠は何なのか?」「ケアマネジャーやケアマネジメントの今後をどう考えるべきか?」「この制度によってどんな社会をめざしたのか?」「財政難の中、どうやって制度の持続可能性を維持するのか?」といった質問や議論が次々と出ました。

これに対し、堤さんからは「自己作成を必ずしも最初から想定していたわけではない」「制度創設時にケアマネジメントの標準化を目指して学会設立を後押ししたが、未だに標準化できていない」「介護保険は危ない橋を渡っている。介護を使わないまま、掛け捨てになる人が多いから詐欺みたいな側面は否めない」「リスクの高い人だけを集めた社会保険は難しい」などと、参加者が仰天する大胆な発言も飛び出しました。

さらに、給付抑制に対する財務省のプレッシャーが強い点に言及しつつ、「マイナス改定が早過ぎた。(本質を議論できないまま、制度改正が)その場しのぎになっている」と発言。今度の法改正で市町村に設置が義務付けられる「地域ケア会議」に関しても、「どういう観点と専門性で市町村がケアマネジャーに物を言えるのか。国に謙虚さが足りない」と批判していました。

参加者は26人(スタッフ含む)で、会場となった「ラミヨ」の椅子をフルに使い切る超満員。制度が誕生した2000年の出来事をランチョンマットにした食事を楽しみつつ、当初の理念を忘れつつある介護保険の本質を巡って、議論は時間を超過して大いに盛り上がりました。(報告/三原)

マイケアカフェ2014 冬

日時:2013年1月23日(木)19:00~21:00
場所:暮らしの保健室(新宿区)
テーマ:暮らしの保健室の2年半
ゲスト:秋山正子氏 (暮らしの保健室長、ケアーズ白十字訪問看護ステーション統括所長)

今回のカフェは、あの!「暮らしの保健室」。高齢化が進んだ都営団地の戸山ハイツ(新宿区)で健康相談などを受け付ける場として、訪問看護師の秋山正子さんが2011年7月に開催したスペースです。
暮らしの保健室は東京財団「介護現場の声を聴く!」第46回参照

会合では、秋山さんが2年半の取り組みとして、暮らしの保健室を訪れた利用者の不安を相談過程で解消したり、制度の隙間に落ちている人を多職種連携で支援したりしていることを紹介してくれました。

また、相談に訪れた人数が2011年度の約1200人から2012年度に約1600人に増加し、2013年度(4~12月)で約2900人にまで増えたことも話してくれました。

その後の質疑応答では、参加者から「国の補助金が切れた後の対応は?」「自分の住む地域でも同じような機能が欲しい。どうすべきか考えたい」「念願だった暮らしの保健室に来ることができて良かった」「病院に行く前の不安を解消する場として素晴らしい取り組みと感じた」などの質問や意見、感想が出ていました。

参加者は24人(スタッフを除く)。募集開始から僅か4時間で定員を超える人気ぶりでしたが、当日もドタキャンはなく約70平方メートルの室内は参加者の熱気に包まれ、時間を超過して盛り上がりました。(報告/三原)

マイケアカフェ2013 秋

日時:2013年10月25日(金)19:00~21:00
場所:ラミヨ(目黒区)
テーマ:みんなで語ろう社会保障~国民会議報告書を考える~
ゲスト:三原 岳 氏 (東京財団研究員兼政策プロデューサー)

2013年8月6日に国から社会保障制度改革国民会議報告書というのが出されましたが、国民会議といいながら、国民の知らないところで議論がなされ、報告書を読んでもチンプンカンプン。
そこで、東京財団研究員の三原岳さんに手伝っていただきながら、みんなで考えよう、と企画したものです。参加者は24人。
最初に、国民会議にいたる背景について、三原さんが説明してくれました。
次にこの三原さんの話を踏まえて、3つのテーブルに分かれてワールドカフェ方式で参加者同士議論。3つのテーマは「在宅で最期を迎えるために何があったらいい?」「いつまでも安心して暮らすためにどんな街になったらいい?」「これからの社会(少子高齢化・負担増…)、私にできることは?」。
各テーブルで、自分事としての、白熱した議論が交わされました。
最後に、三原さんが国民会議報告書にはどんなことが書かれているかを解説。私たちが考えたことと国が考えた方向性を、比べることができました。
手前味噌かもしれませんが、これぞ本当の国民会議といえるのではないか、と思えるような集まりになりました。

マイケアカフェ2013 夏

日時:2013年7月18日(木)19:00~21:00
場所:ラミヨ(目黒区)
テーマ:市民目線で見たオランダの福祉と医療
ゲスト:島村八重子 (全国マイケアプラン・ネットワーク代表)

メインテーマは島村によるオランダ視察の帰朝報告。島村代表が今年6月、オランダの有料老人ホームや高齢者住宅、ホスピス、家庭医の診療所などを視察した際の結果や感想をプレゼンし、参加者で意見交換しました。

オランダは病院の死亡率が35%に過ぎず、80%の日本とは明らかに異なる特徴を持っています。例えば、1968年から介護保険が整備されており、年齢や症状で区分せずに支援を提供しているほか、高齢者住宅も「社会住宅」(=健康な人が対象)、「寄りかかり賃貸住宅」(=やや弱った人)、「介護住宅」(=軽度者)、「看護住宅」(=重度者)と4種類に整理されており、看護職と介護職の区分もないので医療・介護の間で隙間が生まれにくい仕組みになっています。

さらに、前回のマイケアカフェで話題となった総合診療医に近い存在として家庭医制度が普及している点や、事前に準備すれば認知症になった後でも尊厳死を選択できる点なども特色。島村代表が視察時の写真をスライドで見せつつ、「住宅に地域の人が出入りできるので、閉鎖的な雰囲気がない」「利用者の評価が点数化されており、自己決定や自己責任が重視されている」などと説明しました。

これに対し、参加者からは「医療・介護の線引きはどうなっているのか?」「(高負担、高福祉が実現している)ベースには政府に対する信頼があるのではないか?」「制度の問題よりも個人の意識の持ち方が違う」といった質問や意見が相次ぎました。

参加者は計21人。会場となった「ラミヨ」の2階が満杯になるぐらいの熱気の中、本場よりも豪華なオランダ式軽食を食べつつ、時間を大幅にオーバーして議論は盛り上がりました。(報告/三原)

マイケアカフェ2013 初夏

日時:2013年5月29日(水)19:00~21:00
場所:みのりCafe(文京区)
テーマ:最期まで住み慣れた地域で自分らしく暮らしていくための医療
ゲスト:菅野哲也 氏 (家庭医・荒川生協診療所所長)

今回のスピーカーは家庭医の菅野哲也さん。自分の健康状態に責任を持って診てくれて、看取りまで託せる「かかりつけ医」を見つけるため、元気なうちから医者と関わる重要性が話題になりました。

さらに、賢い医者の利用方法として、患者サイドから「先生の専門は何ですか?」「検査は何のためですか?」といったことを聞く方法のほか、在宅医療・介護に関しても、「要介護認定に必要な主治医意見書を主治医じゃない人が書くと大変なことになる」「在宅医なのに夜間往診をやらない所がある。訪問看護ステーションで良い医者を紹介してもらえた」といった体験が参加者から披露されていました。

このほか、日常的に起きやすい病気・疾病を診断・治療する医者として、2017年度から専門教育がスタートする「総合診療医」についても、「総合診療医はどこにいるのか?」「マトモな総合診療医を見たことがない」「かかりつけ医との違いは何か?」といった意見も出ました。

その一方で、「患者・利用者の病気や臓器だけでなく、生活を含めた全人的な状態を診てくれるのは素晴らしい」「総合診療医が普及すれば、患者が診療科を選ぶのではなく、ほとんどの病気・疾病を診てくれるようになる」といった声も出て、「賢い患者・利用者」として必要な心構えやスタンスを考える契機になりました。(報告/三原)

マイケアカフェ2013真冬

日時:2013年2月6日(水)18:30~20:30
場所:ラミヨ(目黒区)
テーマ:ジャーナリストが見たオランダの福祉
ゲスト:浅川 澄一 氏(前日本経済新聞編集委員・ジャーナリスト)

前回、すぐに定員に達してしまい、参加できなかった方も多かったため、場所を変え、再び浅川さんにお話し頂きました。
今回は、会員の方が自宅を建て替えで作った交流スペース「ラミヨ」にて行いました。
浅川さんからは、オランダの福祉のお話に加え、先日放映されたNHKスペシャル「終の住処はどこに―老人漂流社会」の真実についての追及もあり、一回目にも増して熱弁を奮っていただきました。

マイケアカフェ2013冬

日時:2013年1月15日(火)19:00~21:00
場所:みのりCafe(根津)
テーマ:ジャーナリストが見たオランダの福祉
ゲスト:浅川 澄一 氏(前日本経済新聞編集委員・ジャーナリスト)

あっという間に定員に達した今回のマイケアカフェはギュウギュウ満員の大盛況でした。
北欧の福祉はよく聞きますが、オランダって???
今回は、オランダの福祉の視察に行かれた浅川さんよりお話を頂きました。
オランダのケアは、在宅介護・医療の浸透が土台にあるため、病院死は35%!(日本は80%)
高齢者住宅は自宅、地域の延長にあり、生活を楽しむ仕掛けが充実している。
安楽死を認める背景には、家庭医の浸透と本人本位・自己決定の尊重があること等々
初めて聞くオランダのケアの実情を学びました!

マイケアカフェ2012秋

日時:2012年11月7日(水)19:00~21:00
場所:みのりCafe(根津)
テーマ:システムエンジニアから見たケアプラン
ゲスト:山内 昇 氏(『自己作成支援ソフト とき』制作者)

今回のスピーカーは、マイケアの誇る『自己作成支援ソフト とき』の制作者である山内昇さん。「システムエンジニアからみたケアプラン」というトークテーマでお話して頂きました。
そもそも山内さんとの出会いは会が発足してから間もないとき。あれから約11年、介護保険制度はますます複雑に…。それでも長く長くお付き合いして頂き、現在『とき』は Ver.5.0 に(感謝!)
開発経緯から介護保険制度の未来まで話しは盛り上がりました。
※写真は参加者の振り返りシート

マイケアカフェ2012夏

日時:2012年7月30日(月)19:00~21:00
場所:みのりCafe(根津)
テーマ:医療・介護・社会保障をめぐる政策提言の方向性
ゲスト:三原 岳 氏(東京財団/研究員・政策プロデューサー)

参加者はスピーカーを入れて12名。「丸投げしない」ということが、これからの柱だと実感できました。
最後に、多くの人が印象に残った言葉として挙げたのが「合理的配慮」。障がい者分野で言われていることです。言葉は難しいけれど、三原さんが分かりやすい説明をしてくださって、納得そして共感。
美味しい料理と、いろんな種類のお酒と飲みものと、気持ちのいい会話…、時間が来てもなかなか話が途切れず、時間が超過してしまいました。

マイケアカフェ2012春

日時:2012年5月28日(月)19:00~21:00
場所:みのりCafe(根津)
テーマ:成年後見制度と市民後見人
ゲスト:松清 智洋 氏(社会福祉士・介護福祉士)

「成年後見制度と市民後見人」というテーマで、松戸市でこの問題に取り組んでいる松清さんに話をうかがいました。
とても大切だし、これからもっと必要となる制度ですが、実際に活用している人はとても少ない…。普通の人にとってはとても遠い存在の制度となっています。介護保険制度と車の両輪として生まれたものの、介護保険制度だけが突っ走っているって感じですね。
いろんな問題がある中で、キーワードとして出たのは「ネットワーク」。複数でネットワークを組んでその人を支えるという発想です。
市民後見人については、多くの自治体や社協が養成講座などを開いていますが、カルチャーセンター的な感が強く、それでこの重責を担える人が育つのかという疑問の声が多く上がりました。
参加者は11人。美味しい食事と飲み物をいただきながら、ときに脱線しつついい交流ができました。

マイケアカフェ2012冬

日時:2012年2月6日(月)19:00~21:00
場所:みのりCafe(根津)
テーマ:リハビリテーション

参加者は12人。その中に、一般人、医師、看護師、介護福祉士、社会福祉士、理学療法士、などさまざまな専門性、かつ、立場も介護者、援助職、高齢当事者、客観的な立場、年齢も20歳代から80歳代まで、さまざまでした。
テーマは、「リハビリテーション」
リハビリという言葉は、もしかすると、高齢者には「ケアプラン」よりも親しまれているかもしれません。特養ホームにヒアリングに行くと、多くの入居者が楽しそうにリハビリの話をしてくれます。
今回の改定でも、とても重視されているのを感じていますし、 当事者からも社会的にもとても期待されていると思います。
一方で、何のためにリハビリをするのかということを置き忘れてしまうと、リハビリがお仕事になってしまう恐れも感じていました。
マイケアカフェでは、理学療法士で訪問リハビリをやっている橋本さんがプレゼンをした後、意見交換を行いました。
みのりカフェのおいしい食事とドリンクを取りながら、いつもながらワイワイガヤガヤ盛り上がりました。
橋本さんの話の中で、心が動く→体が動く→さらに心が動く→さらに体が動く、という好循環が生まれることが大切で、心が動くところも支援していきたい、という言葉があり、参加者の共感を呼んでいました。
リハビリは、身体機能だけでなく心身ともに及んでこそ…。このことをもっと多くの皆さんに共感してもらいたいな、と思います。

マイケアカフェ2011秋

日時:2011年10月27日(木)19:00~21:00
場所:みのりCafe(根津)
テーマ:自分らしい介護のある暮らし

全国マイケアプラン・ネットワークでは、毎月第3土曜日に例会を持っていますが、これは会員限定の閉じた集まりです。
このたび、新しい試みとして、テーマに関心のある方ならどなたでも参加できる「マイケアカフェ」というものを企画してみました。
介護・医療・看取り 等を特別なこととして向き合うのではなく、人生の一部として、暮らしの中にある出来事として、専門家も一市民として、語り合う場です。
美味しいお酒、お食事をしながら、気楽に、立場や肩書きや職種や業界を越えて対話を楽しむイベントです。

報告

16名の参加、マイケア会員でない方も、5人ほどみえて、それぞれの話題で盛り上がりました。予定時間をオーバーするほどでした・・・。ワイワイガヤガヤ、例会とは違った雰囲気で、交流ができたような気がします。